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~うちの子、こういう感じです~

H19年1月10日に先天性心疾患を持って産まれてきたtakちゃん。
当時の病名たちは

 両大血管右室起始
 総肺静脈還流異常
 無脾症候群
 心房中隔欠損
 心室中隔欠損
 肺動脈閉鎖

そして生後30日目に
 肺静脈還流路作成(肺静脈を本来の左心房につなぐ)、
 動脈管閉鎖、
 体肺動脈シャントの作成手術

その後生後4か月目で退院し自宅療養。時々カテをしながら次のグレンを目標とするも肺動脈圧が異常に高く(グレン、フォンタンを目標とするなら10以下でなければならないのにその時は37とか下がっても23とか)、グレンは出来ないと言われる。
藁をもつかむように無脾で有名な静岡のこども病院にセカンドオピニオンを受けてみる。しかしあまり明るい未来が待っているとは思えない評価をされる。

が、本当の本当にラッキーなことに肺静動圧が徐々に落ち着いてきてグレン可能域までになり、ついにH20年12月にグレン到達。

しかしその後側副血行路に悩まされ3,4か月置きにコイル塞栓のカテをすることに。塞栓しては増える側副だったがやっとH23年4月にフォンタンにたどりつく。

フォンタン後の経過は今のところ良好。大きな問題はなく術後カテの評価も良好。ただ、フォンンタン循環の影響によると思われる肝臓への負担があり常にγGTPは120前後をうろうろ。

日常生活では普通に元気に学校で過ごすも体力や体調を崩したあとのリカバリーに健常よりも時間がかかっていると感じる。疲労も蓄積しやすく特に運動会に向けての練習や夏場の外での活動後などにおける体調管理が難しい(本人は全くわかっていないが)。

小学校の体育は学校に新年度になると管理表を提出しているが特に問題は今のところは無い。ちょっと無理そうだとか疲れたと感じたら自分から休憩をとるように教え先生にも了解を得ている。

そんな経過をたどり、H30年現在小学校6年生。身長137㎝、体重32㎏。

そして現在の病名は「両大血管右室起始症」。障がい者手帳は取得していない。

ちなみに出生時、「無脾症候群」という診断をされたがフォンタン前の検査で実は脾臓があった、ということが判明(という事実を昨年知る(×_×))。でも脾臓が無い状態と同じ心臓奇形や血行動態で単心室には変わりなし。

 ブログを始めたきっかけは当時ネットで「病気(心疾患)」のことを検索すると多くの情報が得られるも意外と病児の日常のこと(熱出した、怪我した、学校の連絡はどうする、体育はどうする、遠足はどうするなどなどなどなど・・・・)や成長に関する情報があまりなく、かといってどういうところに尋ねたらいいかわからずとても困った事が多々あった。
もしかしたら同じように情報を求めている同じ立場の人がいるかもしれない?!と思いたち、自分が発信しちゃおう!とヽ(´▽`)/


 手術のこと、入院のこと、成長具合、闘病生活、幼稚園や学校生活のこと、日常生活でよくある怪我や体調のこと、普段の心配なこと、気になること、くだらないこと、母親としての考えや気持ち、思うところ・・・から始まり、病気とは全く無縁なパワフルな長女kanaちゃんのことなどを綴っています。

 と、トップページを作成中。

カテゴリーは只今編集中でございます。
特に『takちゃんの心臓』シリーズはまだまだ整理中。
とりあえず少しづつどこかが毎日変わっていきます~(;;;´Д`)

編集完了したら再度お知らせしますm(_ _)m


 

2018年5月24日 (木)

「感情の振り幅」と周囲の理解

「感情の振り幅」があるはあるけど最近はその「振り」の時間が短くなってきたなと。

以前、一番手を焼いた年明けの5年の3学期のときは一度(気持ちが)落ちたあとのリカバリーはだいたい1日くらいはかかっていて翌日の朝まで持ち越して結局それで学校を休む・・ということが何度かあった。それに比べれば今は長くて半日まで短縮。うまくいっちゃえば午前中は休むにしても午後から登校しちゃう~、っていうことも。

それを考えてみればだいぶtakちゃんもがんばってるなあと思う。
ま、修学旅行があるからね(;・∀・)
こういう子はだいたい「イベント」を目標に頑張らせるけど当人もそれに向かって頑張れるならそれはそれでいいこと。ただ怖いのはこういうイベントが終わったあとの”虚無感”?みたいなのを感じてしまうとちょっとヤバい。

ということで本日から1泊2日で修学旅行に出かけていきましたよ。

ちょっと不安定な今週だったから担任の先生も自分も「と、当日が全く読めませんね・・((・(ェ)・;))」と
付き添いで同行する養護の先生ともいろいろ打ち合わせしたりしたけど「朝、(学校に)来るかどうか。まずそこですよねヾ(;´Д`A」と。

一度気持ちが落ちたらズドーーーーーーンと落ちる。そういうときは目の前に「人参」をぶら下げても全く効果が無い。むしろそういうときに「人参」をちらつかせようものならそれすらも拒否をする。
実際に「ほらー、修学旅行もあるからさあ、学年全体の事前説明があるんだから(学校に)行ってみたら?」と言ってみたら案の定「就学旅行なんて行かないし」と言ったことがあった。それが今週の火曜日。
2日後はその修学旅行ですがΣ(;・∀・)!!

そういうときはいわゆる”ほとぼりが冷める”のを待つしかないわけでそれこそ案の定嵐が去ったあとにはせっせとおやつや着替えの準備などをしておりましたがね。

そんなドキドキハラハラな今週だったけど本日無事に・・・。本当に文字通り「無事」に・・・・・、修学旅行に行ったわけです。
はー、ほんと・・・・、疲れすぎだわ(;;;´Д`)ゝ


先週、個人面談があって本来なら毎年恒例の「体育の授業について」とか「takちゃんのことのについて」などをお話させていただくところ、今年は4年のときの担任だったことと、もう今現在「心臓疾患」なんかより(・・・『なんかより』と言ってしまうくらい(-ε-))そんなことよりも!こういう毎日である!ということの方がモンダイで・・・・ということで今年は「不登校傾向」についての話をさせて頂いた。

幸いというか、担任の先生は以前は中学校の支援級の先生だったということもあり(多分それがあるからtakちゃんの担任になったと思う。・・ほぼそれは確信)、だいたいそういう子の傾向をよくご存じだけに。
とてもありがたいお言葉をかけて頂いた。

「takちゃんのペースで登校して全然かまいません。こちらのことは気にしないでください」と。

確かにこういう子の傾向として「気持ち」を最優先すると学校とかのルールや時間枠はもはや当てはめて行動することが難しい。気持ちが上がれば登校するしダメなら登校できない、ということを先生はよく理解して下さっていることに本当に救われた。
「教員」とはいえやっぱりそこんとこは「ガッコウなんだからね」とまずそれを言う教員も多い。果てはそういうのは甘えに繋がるとかわがままだとかって考えちゃう教員も・・・少なくない。
確かにそこの境はわかりにくいしそこを見ていくには時間が掛かることだから即座にそう言ってしまうのもわからなくはないけど。

でも本当に。

母親の負担といいますか、心労といいますか・・・・。
コトバ一つで救われ、コトバ一つで傷づくわけです。

とりあえず今は担任の先生のそのお言葉でなんとか・・折れずにキープ。
キープどころかそれをどこか拠り所にしているところがあるかも(;´Д⊂


2018年5月18日 (金)

気になっていた「感情の振り幅」

takちゃんの感情の振り幅が極端なことに最近気が付いた。

何かをきっかけにしてガクンと気持ちが落ちたときは決まって「自殺したい」とか「死にたい」とか口走る。そして時間をかけて気持ちを持ち直した状態(=普段の状態)がまたしばらくあってまた何かをきっかけにしてガクンと落ちるときがある・・というのを繰り返していてその『普段の状態』と『ガクンと落ちた時』の振り幅が大きいなあ・・・・・・・Σ( ゜Д゜)と。

それが1回や2回だけでならそういう気分なときもたまにはあるよね、という程度かもしれないがこの数か月を見ていてそれが割と多い感じがしてちょっとこれって「感情面」で何か・・・・特性があるんじゃないかと思い、来月発達検査を受けることにした。

実はいきなり「発達検査」というわけでもなく、自分の中ではかねてからtakちゃんのちょっとそういうのが気になっていたのは事実。別にそれを受けて結果として特に問題ナシと出ればそれはそれでいいわけで(でも自分の中では何かが出る?だろうという予想をしているが・・・)、何か問題(注意すべき点)が出たのであればその子のそれに合わせた対応を知ることができるからそんな特別なことととは考えてない。

どうもtakちゃんのそういう気分の移り変わりを見ているとちょっと通常の子供が考えているような振り幅とは違うような感じがする・・んだよなあ((・(ェ)・;))

そこでいろいろ聞いてみたところ、発達検査は心療内科でだいたい受診できるが今は半年待ちはざらで検査どころか「心療内科」を予約するのも大変らしい。
現にうちの近所でも3,4か月待ちはふつー。・・・病ってだいたいが「今」必要としているのに3,4か月待つなんて・・って感じだけど特に「小児」の心療内科を扱っている病院が少ないのもあるようだ。

昔は子供が心療内科にかかるなんて想像すらしなかったけど・・・時代なんでしょうかね。

他に、診療内科を受診せずして検査が出来る施設といえば隣市では教育相談室で心理カウンセラーが対応している。ちなみに(中学校の)相談員は絶対に「検査を受けてみましょうか」という促しも提案もしてはいけないことになっていて保護者から尋ねられたり希望があれば手配に動くがそれ以外は言ってはダメ。しかも学校の先生も。・・言ってはダメでその発言権があるのはスクールカウンセラーのみ。
デリケートな問題ということがあって人によっては「うちの子にそんな検査するってどういうことですか?!」と捉えられてしまうこともまあよくあるある。「発達検査=支援級=通常級ではない=何かしら障害がある」、という印象が大きいのだが必ずしもそうなるわけではないしむしろ検査を受けないために生きずらさを感じて日常を”困っている”生徒さんがいることを考えればもっと対応を考えればいいのに・・と相談室にいたとき思っていた。
・・・あとはよくある「責任」よね。責任の所在、を避けたいってところがあるっぽい。

というー、いろいろなオトナの事情の蛇足はさておき、自分が住んでいる市町村ではスクールカウンセラーがいるのに病院を紹介される。スクールカウンセラーは臨床心理を学んだ「臨床心理カウンセラー」であり、その資格があれば検査ができるのにどうしてうちの市町村でやらないのかがわからない。
こんな感じで行政によって対応がバラバラ・・というのも不思議。

じゃあどうしようか。
忍耐強く4か月待つか。4か月なんて案外あっという間だし・・とも考えたけどあることに閃いた( ̄ー+ ̄)

今通っているプレイセラピーをしてくれている臨床心理センターではどうか?!ここってまさにそれ「専門」じゃん?!・・ってことでちょっと聞いてみたら「あ、すぐ(検査)できますよ」って。

ヾ( ̄0 ̄;ノ

すぐって?と聞くと「本人(子供)の同意があればいつでも」って。

え・・・・ええぇぇぇ?!  ・・・温度差ありすぎ!

それじゃあ、ってことで「来月」に決定 ( ̄▽ ̄)

検査受けてみて例えば知的にもこれが得意、これが不得意、感情面でも極端なところ、注意すべきところがわかれば学校の先生も親もそれに合った対応が出来るしそういう対応をされれば何よりtakちゃんの気持ちが落ちつくのではないか。

やっぱりそこが重要。
振り幅が大きいのを見ていると一番本人がシンドそう・・・。本人にはそれの自覚はないだろうが気持ちの面で疲れてるな・・と最近思うことが多い。

2018年5月11日 (金)

「相談」でお世話になっている先々

takちゃんのこういうモンダイが顕著に出た年明け。
心の奥から変えていかないとモンダイが長引くな・・と思って勤務先のカウンセラーさんに相談を少ししていた。そしたら子供(特に小学生まで対象)にはプレイセラピーがいいですよと近隣の大学の臨床心理センターを紹介して頂いた。ここの大学には児童心理学があり、そこの院生がカウンセリングをしているという。
プレイセラピーは調べてみると言葉の表現がうまく出来ない子供には遊びを通して自己表現をさせるという。その表現や行動から子供の内面を探るというものらしい。

*プレイセラピー*
大人だと何か悩みを抱えていたりすれば「誰かに」相談、とかそういうところに言って話を聞いてもらうとかいう手段ができるが子供が、特に小学生が自分の言葉で自分の気持ちを表現したりするのはかなり大変だし「相談する」ということ自体がまだわからない。遊ぶことを通して子供を見る、というのはなるほどなーと思った。
takちゃんも児童館でよく遊ぶしこれはいいかも、ということで3月から週1回、1回50分のプレイセラピーを今のところ続けている。並行して自分も親面談ということで(プレイセラピーとは違う)カウンセラーと同じ50分間カウンセリングをしてもらっている。
ちなみに民間のカウンセリングより爆安・・Σ(;・∀・) 民間だとたいてい50分(とか60分)で¥5~8000あたりが相場だけどこちらは親子で¥1000也。

・・・値段がどうのこうの・・という問題ではないけど「院生」=「学生」のカウンセラーであるということを考えると彼らの勉強台でもあるってことか?と。まあ・・・そういうことなんだろうけど、まあ・・・カウンセリングを受けてみて「あー、社会経験が無いからどうなのかな」・・っつー印象かな。そういう意味ではちょっと自分的にはまあ・・・だけどtakちゃんはすごく毎回楽しみにしているし今のところこれでいいんではないかな・・・・と思って継続中(゚ー゚;

*教育相談室とスクールカウンセラー*
そして来年中学生になるわけだからちょっと中学にも繋げておきたいと思い、まず行政の教育相談室と面談、そして中学に配置されているスクールカウンセラーと面談(自分のみ)。
これは担任の先生にお願いして教育相談室に繋いでもらった。

今時は中学に「相談室」というのが設けられていて相談員(1または2名)とスクールカウンセラー(SC)が配置されている。ただ、SCは毎日いるわけじゃなくて毎週1回か隔週かという配置だから面談したいときのタイミングが難しい。そして学区内の小学校の自分のような保護者も面談対象になっているはず。
自分が勤務していた市の中学では毎月1回、学区内の小学校に訪問して特に5,6年生の授業を参観させてもらったり子供たちと一緒に給食を食べたりして来年度、再来年度に中学に入学してくるために生徒の様子を把握すべく業務があった。事前に情報(登校渋り、不登校の生徒がいる、検査は受けてないみたいだけど発達に心配な生徒がいる、家庭が複雑な子がいる・・などなど)を把握して中学入学後の対応を整えるのが目的。もちろん小中連絡会というそれぞれの学校の先生同士の情報交換会はあるがそれに加えて日ごろの様子を相談員が把握し、中学に入学して万が一相談室登校になっても対応しやすくするためでもある。
が、自分んとこの自治体の中学校の相談員の小学校訪問というのは無いというのを知ってびっくりしたけど行政によってそのシステム?はそれぞれ違うらしい((・(ェ)・;))

・・・という、ことをたまたま自分が中学の相談員だったからこれを知っていたけどもしそうじゃなかったらSCへ繋ぐという考えは小学校の先生から例えばSCと話をしてみますか?とかなんとか提案されない以上、きっとわからなかったことだと思う。それを考えると不幸中の幸いだったというか何というか。成るべくしてこうなった?というか何というか。

なので、こんな感じで相談をしているわけですが。

それぞれの「職務上の立場」が色濃く出るなあと。
教育相談室の相談員の一人は長年小学校教諭だった人が多い。いわゆる教育委員会の人?
ということはあくまでも「学校側目線」。当たり前っちゃー、当たり前だけど・・・「学校に行かれるか行かれないか」ということにこだわる?っていうか。だからぶっちゃけもうちょっとtakちゃん本人のことを考えた目線でお願いします・・と心の中で思っていながら話をしていたがそんな・・印象。
かたや、SCはやはり中立ということもあり、全体を見いているがどっちかというと・・・・生活面やtakちゃん本人を主体にしている感じ。それらを踏まえてからのー、「学校に行きたくない、って思うんだよね」という感じ。
しかもこちらのSCは”安定の”臨床経験豊富なベテランカウンセラー(◎´∀`)。話をしていてとても安心感があった。

ということで、自分の印象としてはこれからはSCをメインに考え方や対応をまとめていったほうがいいかなとは思っているけど何せ隔週の面談だからねえ。その間にいろいろと”起こった”ときにすぐに相談ができないのが困った困った(u_u。)
あ、ちなみにこちらは当然・・・無料。時間は60分。

*担任*
そして当然「担任」。
日ごろの様子の情報交換はもちろん、学校でtakちゃんと個別で話を聴いてもらったりと対応してくださっている。


年明けからこんな感じでいろいろと相談をそれぞれしてもらっていて思ったけど・・・。
相談するって・・体力と気力が結構必要てこともわかった。だって同じことをその先々で話をするわけで・・・、だいたい同じ質問が来て同じ回答をして・・、登校渋りの原因にtakちゃんの疾患の話やそれにまつわる生活面も同時に話していかないといけなく・・・・。
この間話をしていて気づいたらこっちの導入の話だけでざっくり45分くらいかかったし・・・( ̄◆ ̄;)
・・・それプラス、質問され、自分の考えを述べ・・・・あっという間に60分経ってしまってそのころになるとだいたい「あ・・お母さん、すみません。ちょっとお時間が来てしまって・・・また次回お願いしたいのですが・・・」というパターン。

しょうがないことと分かっているけど、なんかこれから「煮込むぞっ!」ところで火を止めちゃった、っていう・・・感じというかね(;;;´Д`)ゝ

2018年5月 7日 (月)

子供の気持ちや態度を言葉にしてみる

「子供の様子を言語化して子供にも自分の様子がわかるように表現をするといい。」

という話を聞いて実践してみた。

学校に行きたくないと布団を被ったままで布団から出てこない状態や物を投げたりするような状態。自殺したいだの家出したいだの自分はろくな人間じゃない、自分は何も出来ない、・・・そういう心の状態のときにそういう態度をされるとこっちはびっくりしてつい「そんなこと言わないで」とか「なんで(学校に)行かないの?」とか「早く布団から出てきなさい」、「死ぬなんて言わないで」などと、「その状態」に対して言葉を投げかけてしまいがちだけどいったんそこは置いといて・・・・。

今の子供の心の状態がそういう態度や言動なんだ・・と、ちょっと引いた目線で見ると、かける言葉も変わってくるんだなと。

死にたい、家出したいと言うほど辛いんだね。
物を投げたりしたくなるくらい嫌なことがあったんだね。
布団から出たくないくらい学校に行きたくないんだね。

こんな感じで子供の態度を言葉に変えてあげると子供も今の自分の気持ちが客観的にとらえることができるという。出来たかどうか…・言葉を聞いて態度が改まったかどうかという結果はすぐになんて出ないけど少なくても自分でもよくわかっていないであろう心のもやもやをわかりやすく言葉にすることで「何か」は届いているはず・・・と、信じたいところ。

でもこうして言語化するとこちらも対応がしやすくなるじゃん?て。
じゃあ辛いって何が辛いんだろう、嫌な事って何だろう、学校に行きたくないってなんでだろう・・・。
心のモンダイの原因て、明確ですぐにわかるようなことよりもどっちかというといろいろなことが複雑に絡み合っている場合が多い。だから辛いことや嫌なことがわかったからといってじゃあそこを改善すれば大丈夫かといったらそうじゃない。でもそれを足掛かりにして辿っていくきっかけにはなる。そうすれば少しづついろいろなものが見えてくるのではないか?って。

そして、面白いことに?この言語化はこういうマイナスな状態のときよりもプラスの行動のときに対応してあげると結果が意外とわかりやすく出た、というのがわかった。

つまり、「小さい肯定感」を積み上げていっている最中にそれをしてあげると・・・。
いわゆる「褒める」というのもその一つだと思うがそこをもっと具体的に表してあげるのだ。何かお手伝いをしてくれたら「手伝ってくれてありがとう。忙しかったから手伝ってくれてとても助かったよ。」から始まって事あるごとに『あなたがそれをしてくれたお陰で・・・・・・・』
『ママは助かった』
『嬉しかった』
『ここまで作業が進んだ』
『言ってくれなければ忘れるところだった』

・・・大前提の大前提で「takちゃんの場合は」としての話だけど、
『朝自分で起きてこれたね』と。
というのも、その状態の前はなかなか起きてこないからおんぶしたりお姫様抱っこしたりして担いで起こしてきたがそのときは『布団から出られたじゃん』と。
学校から帰ってきたときも『今日は一日頑張ったね』
宿題も寝る間際になってぎりぎりの時間で始めるときがあるが『よく忘れなかったね』
などなど。

もっとエピソードとしてはたくさんあるけど「細かすぎて」伝わらない感じがするから割愛(;´▽`A``

まあそんな感じで日常的には「そんなの当たり前でしょ」と思うことばっかりかもしれない。でも「当たり前」だと思うと(今の)takちゃんの心の様子は見えない。ほんとだったら布団から早く出て支度しなさい、とかなんで宿題をもっと早い時間に終わらせないの!とかこっちも言いたい。でも今はまだそれを言っていい状態というかtakちゃんの心がそこまでの状態になっていないだろうから今は我慢我慢・・・・。

学校に行かないときだって「なんで行かないの!?」「風邪も引いてないのに休むの?!」と夫のように自分も言いたいのよね。

と、もとい。
プラスの行動に対して言葉で表現したり対応をしてあげると少しづつみるみるうちに気持ちが前向きになっているのがよくわかるのだ。
「少しづつ」でありながら「みるみるうちに」って矛盾しているけど「大きく前進はしないけど以前より子供の様子が上向きになってきている」という感じだろうか。そうすると心の体力がついてきて以前だったら凹んだようなことでも引きずらないで気持ちの切り替えが早かったりして「あれ?」という場面が結構見られる。

あとは「安心感」を与えてあげることだろうか。

学校を休むことを決めたあなたは間違っていない、ということと共に「学校休んだってどうってことない」「いくらだって方法ある」ということを話してあげる。ここで学校休んだからといって他の方法をすぐ選ばなくてはいけないわけじゃないしそう決まったわけでもない。でも「余裕」を持たせてあげないと「学校休んだ」という罪悪感を持ったままでは復帰がなかなか難しくなってくる。

父親というのは母親よりも社会に出ている分そのあたりの話をしても柔軟性があまりない感じを受ける。その手の話の知識や経験がある人なら違うだろうがそうじゃない場合はその「余裕」が「逃げ」や「甘え」ととらえてしまう場合が少なくない。

迂回しているだけなのにね。人よりちょっと違った道を通っていくことに何の問題があるだろうか。
ほんとの「逃げ」や「甘え」とは違うんだってのに。

2018年5月 4日 (金)

「自己肯定感」の積み上げ作業

「どうせ自分なんて」
「いくらがんばったって駄目なんだ」
「学校に行かないでろくな人生を送ってもいいんだ」

‥‥という感じのことをずっと言ってたtakちゃん。

どこでどうしてこういう思考になったのか。「そんなつもりで育てたわけじゃないのに!」とはよく言ったものでまさにその通りだったからそんなことを言い出して塞ぎこんでるtakちゃんを見て驚いた。
考えてみると、5年生になってからの「やらされ感」はかなり影響しているんじゃないかなあと。あとは学校を休んでいることを認めてもらえなかった父親に「学校に行かないと・・・・・」という枕詞から始まるいろいろなことを言われてしまったことも影響があったと。
夫もそうだけど自分もどこかで影響を与えてたのはあるかもしれない。ただ、やっぱり男子は父親の影響がかなり大きいんだ・・というのを体感?
目の前で起こったわけです(´д`|||)

というのも小さな肯定感を少しづつ与え与え与え・・・・・、ほんとに小石か砂粒を積み上げるようにしていってやっと数センチ積みあがった・・・というときに「なんで休んでるんだ?」という、たったそれだけの声掛けで積みあげたものはもちろん、その地面からざっくりえぐり取っていくかのようになし崩しにされてしまう・・・というのが目の前でたびたび起こったわけだ。
つまり、takちゃんの頑として登校しない状態を受け入れ、気分が落ち着くまで(受け入れられる範囲で)好きなことをさせること。そして遅刻や早退してもそれが出来たことを褒める。takちゃんは人から頼まれることが好きだから買い物を頼んだり手伝いをしてくれたことを褒める。そういうことをしないでただ何もしないで(マンガやゲーム、テレビだけで)過ごしても「今日は1日自分の気持ちを落ち着かせようと頑張ったね」と言う。
そんなこんなを積み上げていき、「少し」という量にもならないほんとにわずかなコトの積み上げている最中にその声掛けで気持ちがガガガーっと大きく退く。そしてマイナス思考が復活する。「パパが学校に行かないやつはダメだって言ってる」が脳ミソに貼りついてしまう。なかなかそれが取れない。やっと取れたのに……………。という感じでしょうか(-""-;)

その、えぐり取られた跡再び地面を整地するところか始まり小石を探し一つ一つ積み上げて・・・という作業を何度したことか。
お願いだからそれは言わないで・・・とお願いしてるのにどうもそういうことを発してしまう・・・という堂々巡りというか何というか。

「発した」後のことはお構いなしというか考えてないから余計にこちらの手間も増えるわけで。
まあ、そこんとこは前回の記事にあるようにやっぱり考え方の違いが大きいというところから来るんだと思う。だからもっとすり合わせをして対応を一本化にすべきところ・・・そこがそもそもうまくいってなかったのは反省しなくてはいけないのですが。

そういう・・・ざっくりえぐり取られたときに「あー、その一言がどんだけまたマイナス(の方向)に戻るか・・・」と愕然・・・という感じを受けた。しかもその手の言葉はそんな頻繁にあったわけではなかっただけにざっくり感が大きいと感じた。現にtakちゃんの様子が上向きかけていたのにそういう言葉によって一気に急降下していくのがわかったし、そこからまた元の状態までに戻す”労力”を考えるとやっぱり影響力が強いなあと体感したわけなのだ。

とはいえ、ここでえぐり取られたままではtakちゃんがさらにどんどん後退してしまう。それをまず戻す方向に持っていき心の地盤を整えた状態にしないと!ということを常に考えた。

要は自己肯定感が低くなっちゃったわけだからそこを改善しないと( ノД`)…
それが「小さな肯定感を少しづつ与え与え・・・積み上げていった」というもの。ほんとに「小さいことからコツコツと」じゃないけど実際やってみると「もう5年生に言う(褒める)ようなことじゃないよね、これ」というようなことがたくさんあった。でもそういう幼稚のようなことでも何でもtakちゃんの”行動”に対して認めてあげることが大事だなと。

そこの考えがないというか及ばないというか、夫はそういうこちらの対応を見てもどかしくも思っていたようだし無駄なことをと思っていた(いる)みたいだけどいいの、いいの。
そしてtakちゃんには常に言っておく。

「大丈夫だから」
「あなたは何も悪いことはしてないんだから堂々としてなさい」

と。

そう、悪いことしてないのに罪悪感があるのね、不登校児は。それは周囲がそう思わせてるんだろうね。
違うのにね。

「学校に行かないという選択をしたあなたは正しいんだよ」と、言い換える。
「自分で”行かない”という選択を決定できたってことはすごいことなんだよ」と「肯定部分」を見つけて教えてあげる。

・・地道な・・・結構アタマ使う作業なんですΣ(;・∀・)

2018年5月 3日 (木)

「保健室でお使いください」ということで。

登校が難しかったとき、せめて保健室登校をしてくれれば・・と思ったけどtakちゃんの場合はそれを嫌がった。保健室も行きたくない、と。

でも、体調が悪いときには積極的に?利用すると聞いていてまあ心臓も心配な面があるし・・・お世話になっていることもあり、ちょっとこの子たちをお譲りさせてもらった。

もし必要なら使ってくれると有難いのですが??と養護の先生に聞いたら「ぜひーー!!!!今の時期、特に1年生があちこちぶつけて毎日たくさん使うんです!」と。
それならそれならぜひぜひ(*゚▽゚)ノ ということで。

ほんと・・・・、袋を破って中身を脱臭剤にしたりと使い回しをしたけどまぁ~、増える、増える!捨てるのもなんだしと思っていたらもう収納しきれず・・・。
こちらこそ引き取っていただいて有難かったっす。


2018年5月 2日 (水)

担任の先生との関わり

不登校になったtakちゃんへの対応はいろいろな話から方向性を決めて目標を持って、かつ角度を変えたりしてやっていた。

”いろいろな話から”というのは担任の先生や関わった先生たち(保健の先生、学年主任など)、そして自分は相談室勤務だったということもあってそこに来ているスクールカウンセラーさん、勤務先の中学の先生たち、相方の相談員さんなどなど。
いろいろのな考え方があるし自分が見えなかった視点も教えてくれるしとても参考になった。

で、そういう多くの”情報”を踏まえ・・・・やっぱりまずは「担任の先生」とよく連絡をとりあうこと。そして最終的な目標の「登校できる」を持ちつつ、でも現状のそこよりはるかに大きく後退してしまったtakちゃんの当面の段階ごとの目標をお互いに共有することが子供を支えるうえで大事なんだなと実感。

例えば「朝通常時間に起きられる」。・・ほんとに・・、これが目標になるくらい大きく後退してしまっていたわけでもうこの時点で「学校に行くとか行かない」とかのモンダイはモンダイじゃない、っていう(ノ_-。)
・・・なので、まずは生活から。
この目標であろう期間は当然学校も休む状態だから先生とは休んだその日の様子を夕方に連絡をとりあってお伝え。多いときは朝も連絡があって「今日は朝はどんな感じですか?」と。
例え学校に行かなくても「家での様子を聞かせてください」と言ってまめに連絡をしてくれた先生には本当に感謝しかない。
そして万が一?!登校したときにはその学校での様子を先生が連絡をしてくれて教えてくれて・・・というお互いに見えてない環境、先生は家庭面、こちらは学校生活をお互いに知って共有することで子供への対応がまとまるんだなと勉強した。
つまり、例えば学校で元気がない様子だったというのであれば家の様子を先生が知っていれば元気がなかったのは家で〇〇があったからなんだ・・とわかるし逆に自分も学校生活の様子を知っていれば子供の態度にガッテンできることがある。・・・というお互いに知っているのがベストなんではないかと。

そしていざ登校した際にはこちらも「今日は学校に行ってクラスに入ったら無事に授業に出られるか?」とか「機嫌が悪いまま登校したけど大丈夫か?」とかいう思いを持ちながら送り出すことが多い。でも普段から(欠席中も)連絡をとりあっているのであればこちらと先生の「思いは同じ」に近い。
ので。
そういう意味では”安心して”先生にお任せできるし”安心して”送りだせることができた。これは・・親にとってひじょーに気持ち的に大きいことだった(≧д≦)

そんな担任の先生のおかげのおかげで当時の自分が頑張れたのは先生のそういうまめに連絡をしてくださったことだと思う。

その連絡の中で自分はこういうふうに接してみました、やってみました、と、お互いの対応についても話をしてじゃあ登校が難しかったら「僕が夕方訪問してもいいですか?」とか「機嫌悪いのであれば今は会わない(訪問)ほうがいいですかねえ」とかそういうこともやりとりし、「うーん、ちょっとやってみないとわからないですが・・・じゃあそうして(訪問)・・・頂いていいですか?あー、でもどうですかねえ・・・。なんか学校関係の人(先生)と会うとなると萎縮してしまいそうな気がしないでもないですけど・・・」とかいう話のときも。
すると、「じゃあ行かないほうが良さそうですねー。そしたら電話で本人と話ができそうですか?」と。「大丈夫かもしれないです。」で、「先生が心配して電話くれたよ」とtakちゃんに言うと首を横に振って電話に出たくないという。「なんか・・出たくない感じで無言で首を横に振ってます」とお伝え。「(笑)そうですか、それなら電話をオンフックにできますか?僕の声が聞こえるようにしてもらっていいですか?僕が勝手に話しかけるので」と。
電話をオンフックにして受話器をtakちゃんの近くに置き・・・先生が呼びかけつつ学校の連絡事項と明日の持ち物などなどをお話して最後に「明日、もし来られるなら来てね。先生待ってるから。」

・・・・・・というー、ことが連日、・・・連日!あったわけです(u_u。)

子供の性格や状況で対応も試行錯誤なところが当然あって、「お母さんすみません(;´д`) ちょっと強気でいったら失敗しました!」なんてこともあった。
自分もあるある。
takちゃんがまだ渋っていたころ、頭が痛いとかお腹が痛いとか言っててそれは気分的なものが大きいだろうと思いまずは登校しようよ、と車で送っていったが学校についても車から降りないでうずくまっている。登校を何度か促しつつ粘ってみたが結局のところ本当に体調が悪かった、というオチ。家で寝かせたら3時間近くは爆睡した、という・・・・こともあり、あー、(渋りと境がわかりずらいわ~( ̄◆ ̄;))てなことも・・・何度かありあり。
「先生すみません~!今日は”ほんとに”体調が悪いようです!」とヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ

そんな欠席が多いなか、ありがたかったのは先生がtakちゃんが自然にクラスに入れるようにクラスの雰囲気を作ってくれていたこと。欠席していることや今takちゃんが悩んでいること、嫌だと思っていることをクラスのみんなに振り替えさせ、気持ちを共有するということをしてくださっていた。

やっぱり不登校生徒の最大の難関は「クラスに入る」ということはよく聞く。
欠席が長かったため勉強についていけないという気持ちもあると同時にクラスのみんなからどう思われるのかと思うとクラスに入りづらいという。欠席が長ければ長いほどその気持ちは強くなるわけで余計に不登校が長引くというのもそこに原因がある。まだそこの葛藤があるうちはいいけど開き直っちゃうとそれはそれで違いモンダイなんだけど・・・・・。

takちゃんもいっときそんなことを言っていたが多分先生のクラス作りのおかげでそこはすんなり入れた印象。ほんとによかったと思う。

結局takちゃんは5年の3学期は最後の最後、修了式の何日か前に数日登校できた。その前は1週間に2日、多いときで3日休み、登校できたときでも早退か遅刻。フルタイムで登校できたのは・・・幾日か?っていう感じだった。

6年になった4月からは体調不良で欠席が2日。朝起きてから少し渋ることもあるけどとりあえず登校し、フルタイムで過ごしている。
5年の担任の先生には一生懸命対応して頂いたのに5年生中にここまでの結果?を出せずに申し訳なく心苦しく思うが今の状態は当時があってからこそだと思うし今年は先生と学年が違うけど多分takちゃんの最近のがんばっている様子は知っているはず。

学校だけでも解決できないし、親だけでも解決できない。

お互いが対等な目線で子供を見守ることが第一なのかな・・・と。

といってもうちはまだまだ途上で・・Σ(;・∀・)
昨日もすったもんだありましたが。
課題多し。

2018年4月30日 (月)

母親の戦い

「受け入れる」ということっていうのは結構大変な作業。

相手のいいところも悪いところも全て両手を広げて「さあ・・!こちらにおいで!」という感じを示さないといけないわけだからそこでちょっと「えー、それは違うでしょ」と思うことがあったときが難しい。
でもまずはそれでもいいから「こちらにおいで!」としないと次に進まないのが「受け入れる」ということなんじゃないかと。

だから「こちらにおいで!」としたあとに違うところを話す。まずは両手を広げること。

その両手を広げたところしか見てない夫がそれは甘やかしだというのもわからなくはない。でも・・・そこで終わったらほんとの甘やかし。「次」があることを説明してもなんでか・・・通じなかったのはなんとも・・・(ノ_-。)

とにもかくにもtakちゃんには今はその「甘やかし」の状況が必要である、という状況だ、ということが・・・
分かってもらえなかったのがとても残念だったがとにかく自分はそれを通した。もちろん通した理由にはいろんな人の話を総括しての判断でもあって自分だけの考えではない。
勤務先のカウンセラーさんや勤務先の中学の先生たち、かかりつけの病院の先生、相談員の仲間、takちゃんの担任などなど・・・・、いろんな人の意見あってのこと、プラス、不登校で相談室登校の生徒に”相談”したところ「親に学校に行けと言われると行く気がしない」という・・・一言もあって。
・・通したわけです。

親の方向性が全く違ってしまったためにその影響もさらに輪をかけてしまうのではないかとも思い、takちゃんには「絶対大丈夫。学校に行かないという選択をしているあなたは正しい。学校が全てじゃないし学校に行かなくたっていいとママは思っている」と、話をした。「パパは学校に行かないと大人になったら困ると言ってるけどそんなことはない。学校に行かないことが全てではない。今一番大事なことはあなたの心を健康に戻すことだから学校のことは考えなくていいから」とも。

そう。

takちゃんを安心させることが最優先中の最優先。

ただ。
ただし。

子供から見て親の意見(方向性)が違うというのが見えてしまうのはちょっとまずい。子供はそれこそ安心して落ち着かない。でもうちの場合のように全く違う方向性だったら子供にはどっちかが正しく、どっちかは正しくないからという説明が必要となってしまう。でもその説明はまずい。親のどっちかがどっちかを「否定」してしまいそれを子供見せてしまったら「お母さんが(またはお父さんが)お父さんを(またはお母さんが)否定している」となり、子供からすればどっちがどうなの?となってしまう。
親の方向性は話し合って一つにまとめる・・と、したいところが残念なことにうちはそうは出来なかった。でもtakちゃんにその状況でどう対応したらいいか。

と、とりあえず・・・・・、「パパはあなたのことをとても心配しているんだけど心配し過ぎてついそんなことを言ってしまうみたい。でもパパもママもあなたのことを考えているのは同じだからね」となんともわかるようなわからないようなことで説明をしておいた。

ちなみに夫の半ば強制的に登校させるというやり方は間違っているわけではない。そういうやり方で登校を促す方法も一つのやり方だとも思う。でも、takちゃんにそれをする「時期」が今ではない、ということ。普通に学校に行かれている時期に例えば子供が「今日ぉ~学校に行きたくないな~ぁ」的なことを言ったりしたら、「何言ってんだ(`Д´)!」という感じであれば構わないと思う。
わかりやすい人物で言えばサザエさんちのカツオ君とかー、ドラえもんに出てくるのび太君とかー。

でも心が既に弱っていて何かしら問題が少しでも持っている状態にそのやり方はふさわしくない。ましてやここまで後退している状態でそういうことなんて・・・・悪化の一途というか・・取り返しがつかなくなってしまう。
例え学校に行けと言って学校に行かれたとして・・・何が・・・・解決?
「学校に行く」ことの何が・・・解決?

相談室を利用している生徒さんの大半が言っていた。
「親が(学校に行けと)うるさいから学校に来た」
「学校に(自分が)登校していれば親は安心するみたい」

って。

期間限定のモンダイであればそれでいいけどむしろ先が、着地点が見えない中でのそれはモンダイを長引かせるし時間が経てば子供も成長しいろいろと良くも悪くも(考え方が)変わってくる。そうなったときにもっとモンダイが大きくなってしまって余計に大変なことが待ち受けて・・・・・、いる(ノ_≦。)

どのみち「強制的」に登校させるというのは「登校渋り」やがっつり「不登校」となってしまったときの解決策とは言えない。

言うのは簡単ですよ・・・。言ってそうなれば誰も苦労しないんですよ。言ってそうなればこの世の中から「不登校」という言葉が無くなるわけですよ。

結局「言った」方はそ後の処理をすることをしてくれないんだから・・最初から言わないでほしいわけ(-_-X)


2018年4月29日 (日)

不登校最中の親の見解と対応

登校しなかった主に5年の3学期。
朝からいろいろありましたが……「自殺したい」「家出したい」てなことも言ってました、実は。
キッチンにある包丁を持ってたたずんでいたり、実際に家から飛び出したり(咄嗟のことだったためこちらは靴を履く暇もなく素足で外に出て追いかけたことも(×_×))、とにかく反抗期もあって外来の病院から一人で電車で勝手に帰ったり。
結構ハゲシいことがあったわけです。

自殺したいとか家出したいと言われたときはさすがにびっくり。そんなことを「言う」のかと。「言う」ということはそういうことを知っているわけでどこで覚えた?・・まあ、テレビやラジオで聞いたりしてるんだろうけど・・それを知ってても口に出す・・という行動?がちょっと驚いた。

実際そういうことを実行するかどうか、というか実行できるかどうか。というかー、それを実行したらどういうことか。
いずれもあまりよくわかってないのは話をしていてこちらもわかった。でもそういう知識があり、口に出す、ということは実行しないだろうにしても悪いほうに一歩前進?しているわけだから「要注意」ランク。
と、いう事とじゃあなぜそういうことを言うのか。

死ぬだとか家を出たいだとか言うときって子供にとってそれだけ辛い、ってこと・・・・。
それだけ嫌なことがある。それだけ、存在を消したいくらいのしんどくて辛くて嫌な気持ちだ、ってこと。
家でも学校でも自分の安心できる場所が無いから・・・・家を出たい、と。

そういうコトなのか・・・takちゃん(/□≦、)

そんな風に思っているなら学校なんて行くわけないわな。・・変にガッテンしたけど、もうそういうときって学校だの勉強だの友達だの・・そんなのはもう外野の外野で場外。

それを知ったとき、自分はどうしてあげたらいいだろうか・・といろいろ考えた。どうしたら安心と思えるのか、どうしたら自分を消したいと思わなくなるだろうか。
「登校」することよりもっと大事なモンダイが露呈し「登校」から大きく後退したのがわかった。

でも後退だろうが何だろうが今のtakちゃんがそうなのであることを受け入れないと。そしてそこから少しづつ前進していかないといけない。

そんな問題を背負ったと同時に自分の対応の仕方を夫には「甘やかしている」と思われていてそれを何度も言われた。確かに「受け入れる」というのは傍から見ればそういうところがあると思う。「なんでも言うことを聞いている」とか。「言いなりになっている?」とか。「時にはちゃんと怒らないといけないのにそういうことをしないでイイヨイイヨとしている」とか。

でも堂々と反論。

「甘やかしてない。今の(辛くてしんどい気持ちが全ての)takちゃんを受け入れているだけだから!」と。

・・・残念なことに。
どうもそこんところが夫には全く通じなかった。自分の説明も下手なんかもしれないがどっちにしても夫にはそういうところのtakちゃんが見えてない、自分のやり方を押し通している、という感じだった。
つまり、夫はそういう気持ちに対応するやり方ではなく言葉は悪いが「支配」的なやり方・・・と思われ。
「学校に行かない」のは気持ちが弱いからだ、甘えているからだ、行かないのを良しとしているから余計に甘えるからだ、だから学校に「行かせる」ようにすべきだ、という・・・・・。

だから、
「学校に行けと言って登校すればこんなにも世の中で不登校が問題にならない!」と言っても。
「根本的に解決していないのに登校しろというのは強制的でそれは子供を支配しているだけ!」とまで言っても。
「学校に行くことがそんなに大事なのか。それよりも学校に行けない、行きたくないという子供の気持ちのほうが 大事じゃないのか?」とまでも言っても。
「学校なんて行かなくたっていい、ぐらいの気持ちを持てないのか?!」と言っても・・・・

全く通じない。

しまいには「学校に行かないでどういう大人になるか?!もしこのまま不登校が続いたらお前は責任とれるのか?」と聞かれた。
ええ、そのご質問には「はい!ダイジョブです!責任とります!」と・・・・

啖呵を切りましたよ(  ̄^ ̄)

「全~然ダイジョブだから。」ψ(`∇´)ψ・・・とね。

ほんとは・・・・・子育てはもちろん、不登校などの問題には親の足並みが揃うことが大前提の大前提。でもこうまで話がまとまらず互いに違う方向を向いてしまっている以上はもう自分が子供を守るしかない。というか夫の考え方では「登校」は不可能。仮に登校したとしても「登校させられた」というだけで自分の意思で「登校」じゃない。
だとすれば・・・根本的な解決になってないし仮にそれで学校に行けたとしてもじゃあ社会に出たらどうか。
・・・どう?


不登校に強制は絶対にダメなのです。

「学校に行かない」のはなぜ?じゃなくて
「学校に行きたくない」のはなぜ?ということ。

甘やかしているように見られるかもしれないけど逆に言えばそうしないと立て直しができないくらいな状況である、ということ。

なのですヨ。

2018年4月26日 (木)

起床方法を考えてみた

その後のtakちゃん。

ふつーに登校してます。

ですが、毎朝の起床には時間がかかるというか手こずっているというか。

以前のように「学校に行きたくない」という気持ちがあってのゆっくりの起床とちょっと違うのはなんとなく感じるところはあるけどそれがほんとにそうなのかどうなのか、というのはわからない。でもどのみち「朝だよー!起きてー!」と「言われて起きる」というのはしんどそう。

患者の会でもよく話が出るけど「朝の起床はゆっくり」というのは定番のようでちょっと意識してうちもそれを前提に対応してみた。でも正直「布団が恋しくて起きたくない」とか「もうちょっとゆっくりしていたい」という一般的な理由や「登校したくない」というところの区別、ましてや身体的なことで起きられないというあたりの区別なんてできないから毎回”今日はどうなんだろう”、”(3学期のように)登校したくないと思ってるのか”と戦々恐々で起こしている。
だからとりあえず様子を見つつ起きてくることを目標としているが・・・・最近変わったなあと思うことが。
いやいやな感じでは起きてこない、ということ。それでも起こすのは大変だけど「これは大丈夫だな」というわずかな手ごたえはあるはある。

なので。

作戦を立てた。

まず、

1回目:「おはようー」と声をかける。
2回目:20分後ぐらいに再度声をかける。「おはよー。起きる時間になるよー」
3回目:さらに10分後ぐらいになったら本格的に起こす。

というように3段階にして起こしてみた。

すると、1回目に声かけしてゆっくり目を覚ましてから3回目まで約30分弱。つまり実際に起床するまでの準備として布団の中で過ごせるわけだ。まあ、すんなりそれで起き・・・ない、けどただ、だいぶそれで本人が楽な感じがしているっぽい。
takちゃんご本人にも聞いてもみたが一応このやり方がいいと言っている。

こうしてゆっくり起床させているがー、なんかー。どうもイイ感じヽ(´▽`)/

これが順調に続くといいなあ・・・・とほんとに心から願いますが(^-^;


2018年4月17日 (火)

朝の頭痛とのお付き合い

新学期が始まって初めての土日休み明けの昨日の月曜日は・・・・・。

欠席。

・・・・・「だよね~」(;´▽`A``  というわかりやすい週明けだった。

前日の日曜日に夫とtakちゃんがドームに巨人戦を見に行って夕方帰ってきたもののかなり応援で疲れたこととちょっと肌寒かったのもあったのかもしれない。
月曜の朝、起きたときに頭が痛いとか眠いとか言ってて元気もなかった。まあ無理しても・・と思って休ませたが
それとは別に起床時に頭が痛い、ぼんやりする、起きるのが大変・・・というのはフォンタン循環と関係はなくは無いそうだ。
そういう訴えはこちらから目に見えてわかるものではないから判断しにくいのが難点。ほんとに痛い?どこまで痛い?起きるのがどう大変?どんだけぼんやりしてる?と、まずは疑ってかかって会話をすすめていくうちに「信憑性」を判断して・・ってうのが毎度大変なことでこっちがそれで頭が痛くなる。

朝は目が覚めてから体を起こすまでの間、「布団の中で起きている」状態にして少し経ってから起き上がるのがいいかもしれません、と先日患者の会の交流会のときに呼ばれた医師が教えてくれたがそれ・・・って、子供にはまず無理でしょう・・・・Σ(;・∀・)
休みの日なら起きてからしばらく布団の中でゴロゴロして・・・っていうのは出来るけど平日はちょっと時間が何かと押しているし・・・、こっちもそれに付き合う時間もないし・・・・、かといって自分で管理なんてできないし。
でもやっぱり休日はそうやってゆっくり起きてくるせいかあまり頭が痛いとは言わないなあと。気のせいか?

頭が痛いのもそうだし心の問題もそうだし。

ちらほら昨年(5年生)辺りから症状が出てきたなあと実感する。病気があると関係なく、普通の思春期だっていろいろ心と体のバランスがうまくいかないで大変な時期だってのにそこへ「病気」が絡んでくるとかなり複雑になってきてそれまでの病気歴の蓄積が徐々に「心」に影響をもたらしてきているのが表面化してきてるっていうか。

やっぱりそれは「自立心」と関係してきるのだろう。

それまでは「自分」しかなかったのがだんだん「他人」が見えてきて「他人」と「自分」を意識し始めたときに、「自分て何だろう」的な思いが生まれる。そして「自分」を客観視すると・・・・・。
いろいろ見えてくるんだろうね。

それって中学くらいから?と思ってたけどtakちゃんの場合は思っていたより早く出現してきた。
元来の「考えすぎる」性格がそれを後押ししちゃったのかもしれないけど。

ほんと、「考えすぎ」なのよ。そこはサラッと行こうよ(^Д^)!っていうところに引っかかってしまう性格・・・。
引っかかるものが多くて全然先に進めない、そして絡まる・・・という(;・∀・)

ちょっとそこの「引っかかる」部分をどうにかしようかなと考えて策を尽くしている最近ですが、
・・・どうにかできればいいけどねえ。

2018年4月 5日 (木)

頻繁にあった「脚が痛い」という訴え

かつてこのブログで話題にしたことがあるテーマの「脚が痛い」が、このたび再登場していただくことに。

ただ、脚が痛くなる傾向や予兆や原因が全くわからないという内容はちょっとまた別のときに・・・なんだけど夜中に脚が痛くなって「ママ…脚さすってぇ(T-T)」と訴えること何回かあった、というところから始まり始まり・・・。

ということで。

その脚が痛い、というそれによって熟睡できない、睡眠が不足する、そしてーーー、
結局「朝起きられない」。

というのが特に3学期に頻繁にあった。

ひどいときは2、3日続いたこともあって隣でさすらなければならないこっちも寝不足……(-_-#)。どうしたら脚が痛くならないか、ほんとに解明されてないのが恨めしかった。
脚が痛いのは寝る前に痛くなっているときもあるし夜中に突然訴えてくるときもあるし朝起きてからというときもあった。
うちの場合はだいたいがふくらはぎで両脚だったり片脚だけだったり。とりあえずなでるようにさすると幾分痛さが和らぐのか気が済むのかわからないけど痛いとは言わなくなる。夜中のため、こちらも寝ながらというかさすってあげるけどいつのまにか寝てしまう。そうすると痛さが復活するのかまた起こされる。起こされるということはtakちゃんもその都度起きてるわけだから結構な寝不足になるよねえ…(>_<)
で、明け方になって痛さが落ち着くのかその頃爆睡し始め、るのはいいけどそろそろ起きる時間だよと。はい、爆睡してるので起きません。起きたとしてもかなり眠いわけです。で、結局学校は遅刻で登校、でもだんだんそれもしなくなりーーー!
………はい、欠席(/_-)

そんな冬だったような………(;´д`)

担任の先生とはよく連絡を取り合っていて心疾患にまつわる話や「心疾患あるある」も時間のあるときに話をさせていただいたのでこの脚が痛いこともすんなり話が出来たのはありがたかった。それでもやっぱり「脚が痛い」ってどういうこと?と思われてるんだろうな(=_=)という思いはずっとあったけど。

だいたい「脚が痛い」といえば成長痛、筋肉痛、こむら返りとか?

中でもこむら返りは夜中に起こることもあるし痛いから脚をさすったりするからtakちゃんもそうではないかと最初のときは疑った。でもふくらはぎを触った感じ、脚がつった時のような硬さがあるかどうか見てみたけどそんなことはない硬さ。じゃあ、なんだろうかね……。

今年の冬は特に寒かった。外気温や気温差とかに関係するのかわからないけどどっちかというと冬場に痛くなることが多いような気がする。
たまたまなのか、今回の登校渋りに拍車をかけられたような気がしなくもない。

本来の不調と気持ちによる不調、かねてからの心の不調・・・の”不調コンビネーション”で3学期は『登校しなければならない日数・53日』のうち『欠席』が23日だった。つまり『出席』が30日。
でもこの30日のうち『遅刻・早退』も含まれてるからね・・・。ちゃんとしたフルタイムでの出席は10日あるかないか、かも。

さて来週から新年度。
どんな出だしになりますですかね・・・・(゚ー゚;

2018年4月 3日 (火)

「朝起きられない」システム

学校に行きたくないときは大抵体調の悪さを訴える。
お腹が、頭が、脚が………。おまけに目が、鼻が…、両脚が、…………体のだいたいが、痛いと訴えて「こんなんだから学校には到底行かれませんo(;△;)o」アピールをする。

でも、アピールではなくてホントに痛かったときも何回かあった。頭、お腹、脚……。
特に頭痛は昼過ぎまで痛かったらしいときも。とはいえ、登校渋りが明らかに見られるときにこういう痛さを訴えるってまず"仮の病"を疑う・・・・のはしょうがないよねえ。

子どもは不安だったり嫌なことがあるとお腹が痛くなるというのはよく聞くし登校渋りの場合、意外と学校に行ってしまえば治っちゃう、っていうこともよくある。takちゃんも当初はそんな感じだった。彼の場合はお腹はそんな痛いことを言わなかったけど気持ちが下向きのときでも案外クラスに入ってしまえば一日学校生活を送れたもんだった。
それが本物の体調不良になっていくことが冬場は多かったような気がする。

振り返ってみると、
まず、

朝すんなり起きられない。
      ↓
身体がだるい、頭が重い、寒いから布団の中がいい。
・・・・と、理由は(takちゃんの)身体的なものから一般的なものまでさまざま
      ↓
朝の支度が面倒、だるくてやる気が無い、ゴロゴロしていたい。
・・・・という状態であまり気分が乗らない「学校」は休みたい  
      ↓
でも時間が迫ってきてやっと起きるもだるくて休みたい。
      ↓
どうしても学校に「行かないといけない」と考えると不安になる。
      ↓
身体のどこかが痛くなる

っていう感じ?

ただ、最初の「朝すんなり起きられない」というところはなぜだろうかと考えたとき、一般的な疲労である「前日たくさん外で遊んだ」、「スケジュールがハードだった」、「夜ちょっと遅くまで起きていた」などなど・・・があれば朝の起床はゆっくりになるかもしれない。が、あまりそんなことでもない翌朝がゆっくり・・・ということがちょっと違和感があった。個人差があるだろうしそういう体質なのかもしれないし、医者でもないし、統計を取ったわけでもないけど、患者の会でそのことを話題にしたら心疾患児(小学生~大学生)はみんなといっていいくらいみんな、「朝起こすのはほんとに大変です」とお母さんたちが口をそろえて言っていたことがあった。

しかも特に「冬」。

寒いからねえ・・・(;;;´Д`) 布団が恋しいのよねえ・・・。

でもやっぱり身体の中も「冬」の影響があるんじゃないかと。
寒いと血管が収縮するとかいろいろあるけど、単心室でゆっくりだらだらと血液が流れているところに「冬」が上乗せされれば・・・・、健常の人だって朝はぼんやりしたり身体が重かったりするんだから単心室だったら余計に・・・・・・・・?
なんじゃないかと。

全くそういうのってのは見た目にわからないし体の不調やしんどさは本人しかわからない。
でも「朝起きられない」というのを一般的な「冬だから」を除いたとしたら考えられることはやっぱり彼ら特融の循環が関係しているんじゃないかって。・・・お母さんたちもそんなことを言っていた。
やっぱり「現場」を知っているだけに…その辺りはワンツーで理解してくれる(゚ー゚;
これが学校や、あまりよくわかっていないで根性論で説く夫などに説明してもなかなか理解が得られるのが難しい。根性で行かれるならこの世に「不登校」なんて存在しないしこんなにも社会的問題になりようもない。
その不登校問題以前に彼らには「なんちゃって健常の血行動態」でそのために身体に影響することはかなりしんどいはずだよ・・・ってことをね。
わかって、というか知ってほしいというか。

ちなみに患者の会のお母さんたちはみんな言っていたっけ、「登校時間があと1時間遅ければいいのに」って。

まあただ、1時間遅くなったとしても実際はその遅くなった分の起床になるからあまり意味はないかもしれないけど・・とにかく朝が一日の中で一番ストレスだと。

ほんとに・・・。起床の6時半からそんな体調を相手に仮の病かどうかを見て、ダイジョブそうならなんとか学校に行かれるように仕向け、それでも最終的に学校を休むと決める9時半くらいまでの数時間・・・。
最初から「休む」とすればストレスはないだろうけどそうしたらじゃあ登校するきっかけが無くなってしまう。「行きたくないなら行かなくていいんだ(゚▽゚*)」になってしまう。

そこが難しい。


2018年4月 1日 (日)

「学校に行かない」を考える

「不登校」については今はネットでもいろんな情報が出ているからあえてここで書くのもなんだけど、まあ一応自分の(相談員の)経験と自分ちの子供の対応で感じたことをちょっと・・・・。

「学校に行かない」という理由は生徒それぞれ。しかも理由が一つだけとも限らず複数が複雑に絡み合っている場合も多々ある。複数・・というのは例えば友人関係もあれば勉強についていけない、親子関係、家庭問題、その子の性格上の問題、発達的な問題・・・・・と、単発なこともあればこれらぜーーんぶが絡んでる場合も珍しくない。
そういうなんか・・・絡み合った毛糸玉のような状態がまだ純粋な心の年齢の子を覆いかぶさっているとイメージすればなかなかそこから脱するのは時間がかかる・・・・・のに、

ただただ「学校に行く」か「行かない」かだけの問題という考え。
そしてしぶしぶながら「学校に行った」ことに満足する・・・という考え。それを「学校に行かれた」とする考え。
根本的に解決していないこれらの状態は改善はおろか、悪化の一途を辿りかねない。

そこの視点を変える場合、「なぜ学校に行かれないのか?」 ではなくて、
「なぜ学校に行きたくないのか?」で、考えてみるといいかもしれない。

うちはそこをさかのぼってみると友達関係から始まり、「不安」が強いのではないかというところに一応落ち着いたけどその「不安」をどうにかしなければ例え学校に行くことができるようになったとしても”何か”があればまた行かないという選択をしてしまうだろうし今はその矛先が「学校」だけどこれが大人になれば「会社」とか社会に向けられる。だから「学校に行った」という表面的なものはその場しのぎでしかない。

相談室にもよくあることだけど・・・・、「親が学校に行けっていうから来た」と言う生徒が少なくない。それで登校が出来るようになるのであればそれはどっちかというと普通に心が健康な場合、例えば「サザエさん」のカツオとかが「学校行きたくなーーーいっ!」って言ったが最後、親に一喝されて・・という展開になるだろうが心がすでに疲れている場合はこういう対応は逆に後退していくきっかけになってしまう。
大人みたいに社会的な義務や責任感で行動ができない子供には全然無理な対応で・・・、大人だって無理なときがあるだろう。自己が確立もしていない年齢の子に理屈理論は通じない。

子どもに寄り添って
時間をかけて
いろいろな方法を試みながら
駆け引きをしながら、

対応していかないと焦って今日明日の話じゃないことを承知しおかないとちょっと・・・・、後々が大変なことになってしまう。

ただ、これが多少長期間だにしても期限付きのものであれば親だってそこを目標になんとか頑張る気持ちが保たれるけどその”ゴール”なるものが無い・・・・・。
だけに。
ほんっと、こっちのほうが全て嫌になってしまう。仕事も、日常も、何もかも。

そういう対応に承知しておきながらこう感じるわけだからやっぱり初めて「学校に行かない」という状態を目の当たりにすればう右往左往するしどんだけ親のほうも疲れ切ってしまうだろう・・と実感した。

そういう子供の支援はもちろんだけど親の支援というか、周囲の理解が必要だな・・・・とも。

特にいつもそれをせざる得ない立場のお母さんて・・、ほんと大変(ノ_≦。)

自分は幸い勤務先が勤務先だけに(中学校の相談室)我が子のこういう状態にはとても理解をして頂いて時間の都合をかなりつけてくれた。それでも心苦しいところが多々あってそれをどうしてもやっぱり後ろめたさを感じながら仕事をしていた。
でも一般的な業務であればそこはなかなかやりくりが難しいと思う。だからといって簡単に仕事を辞めて子供に寄り添う毎日を送るとしてもそれは親がしんどくなってしまう。しんどいどころか・・、こっちが心の病気になりかねない。

takちゃんがかつてグレン、フォンタンの見通しが立たなかった時期のように”ここだ”という目標地点なるものがなかったときのように、「学校に行かない」というのも今は”ここだ”というものが今は見えない。
とりあえず新年度、6年生になってクラスや担任が変わり、小学校の最高学年という環境になって心機一転できるといいなと思う。

まだまだ先が見えません。

2018年3月28日 (水)

「不安」を解決いたしましょう

takちゃんの場合、「不安」を根本的に解決する必要があるなと思った。

自己肯定感が低いのもそうだし「不安」があるということは「自信がない」ことでもある。takちゃんとの会話にはしばしば「どうせ自分なんて」とか「何やってもダメなんだ」というようなニュアンスの言葉が登場していたのも気になっていた。

自己肯定感が低いのを改善すれば自信に繋がり、少々の不安があったとしてもそれを乗り越えられる素地ができる。今はその素地がないために不安がちょっとでもあるとそこで止まってしまい場合によっては引き返してしまう状態。

子育てでよく言われているが「子供のことを認めてあげる」こと。これってほんとに大事なんだんと改めて実感した。てか、むしろ人間てコレで出来上がってるんじゃないか???って。

まずは「認めて」あげることとして「褒めて」みよう!・・・と、思ったはいいけどいざ日常の中で何を褒めよう・・・って。
だいたいのことが出来る年齢の子供にあえて「褒める」ってのも難しいなあと思ったがまあ小さいことから・・と思い、「褒める」というよりはどっちかというと彼の「言動」に寄り添うようにしてみた。「否定」はしないってことで。

もちろん常識の中での対応でそこを超えてしまうと甘やかしになってしまう。でもかかりつけの先生に相談したら「今はそれでも(=甘やかす)いいくらいです」と言われた。そのくらいtakちゃんの心にダメージがあるってことよね。
男子は父親の影響が大きいと聞いたけどほんとそうだなと思った。まあこの話をすると夫婦の問題になるからきりがないけど・・・。

とりあえずいろいろ「寄り添って」みましたよ。
takちゃんは「学校に行きたくない」というのがメインテーマになっていたから「学校に行きたくないならそれでいいんだよ」と。
でもそう簡単にコトは終わらなかった。「そんなことを認めてどーする?!」と外野が出てくるわけだ。まあその“戦い”は後日書くとして・・。

で、「学校に行きたくない」ということに寄り添うもそれを「良いこと」とは言わない。「今は『行かない』ことを選んだアナタが正しいんだよ」とする。だって「行かれない」くらい心が疲れてるんだから、と。足の骨を折っているのに全力で走れなんて無理だし誰もそうしろとは言わないでしょと(ただ、根性論で話をする夫は多分『骨折しても走れ』と言う派っぽい・・だから話が通じなかったところがある)。
だから心が健康になったら学校に行けばいいんだよと言っておく。

彼の行動を認めてあげることが自分の行動に自信が持てることであるわけだからこういう積み重ねをしていくしかない。・・常識の中で。

ただね、やっぱりこういうのって「終わり」が見えないからほんと・・、疲れるものよね、こちらは。
不登校児を持つ親御さんの気持ちがわかります。期間限定的な問題であればそこを目標にがんばれるけど・・・悪化の一途をたどりほんとにこのままどうなっちゃうの・・・・という状態が毎日続いたら身も心も疲弊してしまうんだなと思った。
そうならないようにして気分転換したりしたけどやっぱり家に帰ればその問題となる我が子が「居る」わけで・・。
果てしないといえば果てしない戦いがあって・・・。

親に寄り添ってくれるような・・、状況を少しでも理解してくれる人が必要だなと。


«「やらされ感」解放 VS 甘やかし

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