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~うちの子、こういう感じです~

H19年1月10日に先天性心疾患を持って産まれてきたtakちゃん。
当時の病名たちは

 両大血管右室起始
 総肺静脈還流異常
 無脾症候群
 心房中隔欠損
 心室中隔欠損
 肺動脈閉鎖

そして生後30日目に
 肺静脈還流路作成(肺静脈を本来の左心房につなぐ)、
 動脈管閉鎖、
 体肺動脈シャントの作成手術

その後生後4か月目で退院し自宅療養。時々カテをしながら次のグレンを目標とするも肺動脈圧が異常に高く(グレン、フォンタンを目標とするなら10以下でなければならないのにその時は37とか下がっても23とか)、グレンは出来ないと言われる。
藁をもつかむように無脾で有名な静岡のこども病院にセカンドオピニオンを受けてみる。しかしあまり明るい未来が待っているとは思えない評価をされる。

が、本当の本当にラッキーなことに肺静動圧が徐々に落ち着いてきてグレン可能域までになり、ついにH20年12月にグレン到達。

しかしその後側副血行路に悩まされ3,4か月置きにコイル塞栓のカテをすることに。塞栓しては増える側副だったがやっとH23年4月にフォンタンにたどりつく。

フォンタン後の経過は今のところ良好。大きな問題はなく術後カテの評価も良好。ただ、フォンンタン循環の影響によると思われる肝臓への負担があり常にγGTPは120前後をうろうろ。

日常生活では普通に元気に学校で過ごすも体力や体調を崩したあとのリカバリーに健常よりも時間がかかっていると感じる。疲労も蓄積しやすく特に運動会に向けての練習や夏場の外での活動後などにおける体調管理が難しい(本人は全くわかっていないが)。

小学校の体育は学校に新年度になると管理表を提出しているが特に問題は今のところは無い。ちょっと無理そうだとか疲れたと感じたら自分から休憩をとるように教え先生にも了解を得ている。

そんな経過をたどり、H30年現在小学校6年生。身長137㎝、体重32㎏。

そして現在の病名は「両大血管右室起始症」。障がい者手帳は取得していない。

ちなみに出生時、「無脾症候群」という診断をされたがフォンタン前の検査で実は脾臓があった、ということが判明(という事実を昨年知る(×_×))。でも脾臓が無い状態と同じ心臓奇形や血行動態で単心室には変わりなし。

 ブログを始めたきっかけは当時ネットで「病気(心疾患)」のことを検索すると多くの情報が得られるも意外と病児の日常のこと(熱出した、怪我した、学校の連絡はどうする、体育はどうする、遠足はどうするなどなどなどなど・・・・)や成長に関する情報があまりなく、かといってどういうところに尋ねたらいいかわからずとても困った事が多々あった。
もしかしたら同じように情報を求めている同じ立場の人がいるかもしれない?!と思いたち、自分が発信しちゃおう!とヽ(´▽`)/


 手術のこと、入院のこと、成長具合、闘病生活、幼稚園や学校生活のこと、日常生活でよくある怪我や体調のこと、普段の心配なこと、気になること、くだらないこと、母親としての考えや気持ち、思うところ・・・から始まり、病気とは全く無縁なパワフルな長女kanaちゃんのことなどを綴っています。

 と、トップページを作成中。

カテゴリーは只今編集中でございます。
特に『takちゃんの心臓』シリーズはまだまだ整理中。
とりあえず少しづつどこかが毎日変わっていきます~(;;;´Д`)

編集完了したら再度お知らせしますm(_ _)m


 

2019年3月15日 (金)

入学前面談で中学へ

通う中学に、2月に2回ほど、校長と教頭に面談をお願いしてもらった。

疾患のことと、学校に通っていない状態のことも含めてのお話し。今の状態は疾患のこともそうだけど、学校に通えていないことのほうが重いというか・・・。何をどうやって話をしようか・・・と困った。というか、悩んだ。

通学に問題がない状態なら「疾患」のことを話せばいいわけだけど、通学できていないこととなると疾患よりも、まずは現在に至ったことやその原因などを話さないと・・。でもうちの場合は、疾患とも絡んでいるからそこをセットにして、と思うも、なんか・・・こういうのって・・理解を得にくいんだよなあ・・・と面談前からいろいろ考えてしまった。

とりあえずー、小学校のときと同じように疾患に関係する資料を作成して、先生方に渡して一通り読んでもらった。

こちらの言いたいこととしては・・・・・・、

『こういう疾患があることで当人なりの何らかの負い目を感じ、それが強い傾向にある。そのために周囲との関係を築いていくのが5年生あたりで、あるきっかけによって影響があり、そこから友人関係が難しくなった。でも、「学校」に行くのが嫌ではあるものの、普段は友達と積極的に遊んだりしている。情緒面で不安定さが見られているが、最近だいぶ落ち着いてきているように見える。
ただ、疾患の影響かと思うが、日常生活を送ることに困難さが出てきていると思われ、それによってもともと繊細な気持ちのところにマイナスなことが表立ってきてしまって、体が疲れたところに気持ちの疲れが重なって、学校に行きたくないという選択をした、と、考えている。
日常生活の疲れ、というのが一番心配しているところで、健常児であれば、何でもない一日のスケジュールが息子にとってはそれを当たり前に毎日のこととしてこなすことは、恐らく難しいと思う。今から考えても仕方ないことかもしれないが、その「疲労」の蓄積が中学校生活に影響が出るのではないかと・・・・・・』

考えております。と。

まあこんな感じで。
で、小学校もそうだったが、だいたい説明の中盤あたりの「日常生活の疲れ」の件(くだり)から段々先生たちの表情が変わってくる。

「日常生活の疲れ」って????( ・∀・) 子供が??

それが蓄積されて生活に影響が出る・・・ってのは???  子供が??

っていうー、表情をするのがわかったから、「あー、わかりにくいですよね」と思っていろいろと詳しく説明をするわけだけど・・・・
そこんとこをわかってもらおうとすればするほど、「生活大変アピール」になってしまって、なんか話しているうちに「そんなに大変じゃあ学校、無理ですよね」って言われそうな感じもして・・・でもやっぱりわかってほしいと思って話をしたけど・・・、いやいや・・・なんだかなあ・・・っていうι(´Д`υ)アセアセ

それこそ、こういう子供を持ってみないとわからないというところだから仕方ないけど・・・やっぱり学校って集団に対応しているためか、「みんな同じ」っていうのが基準値なんだな・・・って。
その中にもちろんいろいろあって幅を持たせた「基準値」だろうけど、やっぱりそこの幅から大きくズレると対応が困難にもなるし、そこのズレががなかなか理解されないもんだなと。
改めて思った。

別に学校に対して文句を言っているわけではないけど、やっぱり温度差はあるなと感じた。


確かに、こういう子供が居ない生活であれば「子供が疲れるって?」ってなると思う。そんなに生活に影響が出るほどの疲れって?って。体調悪いときに無理すれば影響が出る、っていうのはあるけど、そうじゃない、普通に生活を送っていてそうなるっていうのは、やっぱり想像つかないものかも。

それならそれで、対応の仕方はあるから自分的には別にいいと思うんだけど、「気持ちの疲れ」がねえ・・・。
そこんとこ。

「元気があれば何でもできる!」という・・・「元気」ってのは「気持ち」なわけですよ、猪木さん。

2019年3月12日 (火)

感じる”気持ちの厚み”

takちゃんの「変化」のきっかけは、本人に聞いたわけではないからはっきりとはわからないけど、恐らく「小学校卒業」=「中学校入学」というものが段々現実に近づいてきている今日このごろだから、なんじゃないかと。

通う中学は今の小学校の生徒(約130名)と、1学年1クラス(約15名)しかいないという小学校からの生徒、野球部に入部したくて越境してくる生徒(毎年10名前後)が集まる。takちゃんがあんまり好きではないという現6学年に、25名前後がプラスされるため、takちゃん的には「環境が大きく変わる」という印象らしい。
中学は1学年4クラスだから、だいたい1クラスに5名くらいが新しい顔になるという計算。

まあそこまでの計算をしてるかどうかはともかく・・・・。
生活環境が変わる、ということはわかっていて、「中学は毎日通う」という決意はすでにお聞きしていて・・・。
楽しみにしているようでもあり、中学には行きたいという気持ちがあるのはあるけれど。
杞憂かもしれないと、思いつつ、ついこちらは「自分が思い描いていた中学校生活と現実の中学校生活に大きなギャップを感じ」て、・・・・感じるのはいいけどそこでまた心折れてしまわないでよね、という・・・・(◎_◎;)

ただでさえ「中1ギャップ」というのがあるくらい、やっぱり小学校と中学校は大きく変わる。勉強がメインになってくるし、数学や英語も積み上げ教科は一度つまずくと後が大変になる。そういうことに心がタフでないと、ちょっと・・と思うところだが・・・さてさてどうなることか。


やってみないとわからない、という4月からの生活だけど、最近思うのはだいぶ気持ちに「厚み」が出てきたかな、と。
昨年の今頃のtakちゃんの「気持ち」を表現すると、ペラペラの状態ならまだしも、何もない状態だった。なんか・・空間をさまよう感じで、何も受け皿も壁も無い、ふらふらとした、定まらない状態、というか
それが、気持ちの下地ができあがってきてたなあと感じたのが昨年末くらい。今までだったら何か嫌なきっかけがあると、落ちるところまで落ちてそこから這い上がってくるまでに数日かかったのに、その頃には1日くらいで心のリカバリーが出来ていると感じた。

それが最近は、あまり引っかかることもなく、不満や嫌な思いは口にするもののその”時点”で終わるようになった。
そういう意味で、気持ちの厚みが出てきたというか・・・・。
少なくても半年前よりは、全然違う。


卒業式も、通常の体育館で行われる式には出ないと。じゃあ午後の個別対応の式は?と以前聞いたら、それも嫌だと言っていた。個別は、午前中の卒業式が終了したあと、午後から校長室とかで校長、教頭、担任、親、当人の参加で別個でやってもらうため友達とかには会わないで済む。でも、takちゃんは「学校に入りたくない」という理由もあって、「それも嫌だ」と言っていた。
が、先日卒業式の話を確認のために「個別でやってもらおうか」と話をしたら、「うん、行く行く!」・・・・・と。

あら・・・・(・ω・)

思わず、「学校の中に入るけど、大丈夫なの?」と聞いたら「だって、みんなはもう(その時間は)居ないんでしょ?」と。

・・なんだか”基準”がよくわからないけど・・まあ、行く気があるならそれはそれでいいけどね。

そんな会いたくないと思うような友達と同じ中学ですけど・・大丈夫なのか?と、思いますが、そのあたりが全く読めない(;´Д`A ```

あと、最近変わったことがもう一つ。
これは気持ちに関することと関係あるかどうかはわからないけど、だいたい時期を同じくして「あれ?」と思ったこと。
それは「文句言うことなく、出されたご飯を食べる」。こと。

食事のときに、こちらが用意したものを拒否ったり、お腹がいっぱいだから食べたくない、とか、これは好きじゃない、とか今日はこれよりもあれが食べたいとか・・・。そういうことが多かった。まあ好みも出てきたり、反抗したり、そういう気分じゃなかったり、・・そんな感じなのねと思っていた。
それが、最近はあーだこーだ言わず、ご飯だよーと声を掛けると「あ、はーーい!」と言って、今までだったら「ええー、またこれ?」とか言いそうなメニューでも何も言わずにパクパク食べる。
魚が嫌いで、それでも無難に「ブリ」とか「鮭」とかを出していてなんとか食べていた。だから、骨取りの面倒なアジの開きなんざ出そうものなら、もう発狂もんだったのが・・・・。昨日たまたま出したら、一生懸命骨を取りつつ食べてる。

・・・Σ(;・∀・)

どした?

食事の変化はたまたまなのかもしれない。考えが成長してきたからかもしれない。
でも、最近思うのは日常全体を通して、何かが「あれ?」といい方面に変わってきた印象が強い。

takちゃんが学校に行かない選択をした1年半前。学校に行かないなら行かないでいい、と自分は極論だけどそう思っていた。ただ、それは「気持ちが元気」だったらのハナシ。気持ちが元気だったら、猪木の名言じゃないけど「元気があれば何でもできる!!」よろしく、何だってやろうと思えばやれる。
でも、元気がなかったら・・・・。持っている可能性や長所さえ伸ばす段階には至らない。まず、「心が元気」になってもらわないと・・・。


それがこの1年間だった。 まだ「心が元気になりました!」と堂々と言えないところはあるから完結ではないけど、それでもここまで持ってくるのに1年かかった。
それが前回の記事の、「ゼロ地点」。

さて・・、これからが第二幕が明けようとしているわけです・・・ヾ(;´Д`A

2019年3月11日 (月)

takちゃんの”大きな”と思われる変化

takちゃんその後・・・。

父のことでばたばたしていた2月。大好きだったジジが亡くなったことで、それなりに感じたことがあったようなふうに見えた。母から電話があって急いで駆け付けたときにはすでに息が無く、でもまだほんのり肌が温かかったあの感触はtakちゃんにもとてもいい経験だったと思う。
亡くなった姿は親戚の人とかを見て経験はあるけど、触ったり、自分の近い人がそういうことになって、真近で見ることは初めてだったし。
こうして、人の終わりを見せていくというのが自分の親、祖父母のある意味最大のつとめなのかな、とも思った。

そんなこんな中、2月中旬だったか。
適応教室には今までせいぜい11時から出席をしていて、体育以外は10時に行くことはなかった。
が、あるとき明日は10時から行く、と。前日にそう宣言して実際行けた試しがなかったからこちらもてきとーに「あー、了解~」と言っておいただけだった。しかも、その宣言をした「明日」というのは月曜日。だいたい月曜日からそういうスタートを切れるというのは・・・こういう子たちにとってはかなりハードルが高い。だけに、こちらも「そういう気持ちを持ててきた」ということに評価をしたが、行動に移せるとは思っていなかった。

そして月曜日の朝。
ちょっとkanaちゃんのほうですったもんだがあった。takちゃんの出かける時間にも影響が出そうな感じがあり、takちゃんは「今日はいいよ、休むから」と、言い出した。あー、こういうパターンはやっぱりねー、と思っていたがこちらも支度をしていてなんとか間に合いそうだったから、「どうする?今日行くの?行かないの?」と聞いた。こういう状況は、今までだったら一度「休む」と言ったらそれを覆すことはほぼほぼなかった。のーにー、そのときは「じゃあもういいよ、10時から行くよ」と!!(゚ロ゚屮)屮

驚いた。

今までからするとこのパターンは「休む」
か、
行ったとしても「11時から」シブシブ・・・・。
しかも、返事の最初に「じゃあもういいよ」という件があった後のー!
「10時から」という、ある意味文脈に沿ってない返事に正直「・・・え?」と戸惑った。

確かに「10時から」と言ったよね?ここで聞き返すのも、せっかくそういう気持ちでいるのを遮るようだし、それによってもしかしたら「行かない」となってしまいかねない。

ねじれた文脈でしたけど?「10時から」というのは聞いたわけだから、じゃあそれなら、と急いで支度して出かけた。

そんな感じの・・・、危うい状況ながらも10時に行けたことに驚いた。
そして、翌日は体育だったから問題はなかったがさrに水曜日。この日も運悪く?朝にちょっと父親と嫌な感じがあったらしく、「あー、今日はこれは休むよねー」という空気だったが。
10時に行った。

(゚0゚)

どうした?


あんだけ10時から1時までは学習時間だから嫌がってたのに・・。ふつーに「行ってくる!」という気合いで行くようになったのは・・・不思議。

「学習」といっても、それぞれドリルを持ってくる子がいたり、漢字クイズやナンプレとか、英語クイズとかそういう「学習」に絡んだことをしているとは、以前聞いていた。そういうのが本来takちゃんは好きだから、10時から行けばいいのに、と誘ったがとにかくクイズだろうが何だろうがそういう学習関係が嫌だ、と言っていて行かなかった。
そのくせ、テレビの「東大王クイズ」とか知識クイズ番組は大好きなのに・・・?

で、10時から通い出してその時間は何をしてるのかと、先生に聞いてみたところ、
「一緒に漢字クイズしてますよ」と。

w(゚o゚)w

どうした?


その後も10時に行くようになり、それが当たり前になりつつある最近。

昨年の今ごろ・・・、目が離せない、毎日どうなってしまうのかと悶々とした毎日だったのが嘘のような今。
1年後、正直ここまでの段階に持ってこれるかどうかは、予想してなかった。
それでも1年かかった。
長かったような・・・アッという間だったような。


基準でいうと、今までが「マイナス」だったところが、今やっと「ゼロ」地点付近に来たかな・・・という感じかな。
「ゼロ」ではなく「ゼロ地点付近」というのが、ビミョーですが。

2019年3月10日 (日)

父ですよ・・・今度は。

立て続けにいろんなことが起こります。
しかも「自分」の身の上に降りかかるのではなく、「自分の周囲」が騒がしい・・・という感じで、いいんだか悪いんだか。

1月末に実家の父が亡くなった。

特に病気を患って長い闘病生活ということではなく、老衰だったため、静かな最期だったらしい。母から「お父さんがもう危ないって」っていう電話を受けて3時間後に父と会った時はもう息がなかったけど、顔を触ったらまだほんのり温かかった。
でも、息をしていない。でも温かい。でも心臓が止まっている。もう動かない。目を開けない。しゃべらない。・・・なんとも不思議な感覚だった。

施設に入っていて、母は2,3日置きに面会をしに行ってたが自分は遠方だったため、2週間に1回くらいのペースで父に会いに行っていた。肺炎を繰り返していて、昨年の夏も危なかった状態があり、幸い復活したもののまたこの気温が大きく下がる季節になって、母と「今度熱を出したらもうダメかもね・・・」と言っていた。
認知症もあって、たまに会いに行くと「・・・誰?」という顔をして娘を見ても怪訝な表情だったことが多かった。
そんなことを自分はちょっとばかり楽しんでいて、「誰かなー?」とか「思い出せないの?」といろいろ話しかけてたりして、父の口から自分の娘の名前を引き出そうとするのがある意味面会のときの楽しみだったり?もした。

亡くなる4日前の水曜日。いつもならド平日に実家に緊急以外では行くことはなかったが、この日はなぜか実家に行ってきた。
というのも、頻繁に面会に通っている母がたままたその週は用事が立て込んでいて1週間近く面会に行かれないということだった。自分もその週末は都合がつかず、面会に行くとしても1週間後に会うという母と同じ週末になるため、2人して父の面会に行かれない週だった。
が、その週の水曜日。午後から特に用事がないことにその日の朝、気づいた。もし午後から父に面会に行って様子を母に伝えておけば、安心するのではないかと思い、急遽午後から父の面会に出かけた。
母にそんなことを電話したら車だったら夕方でも面会に行きたいと。結局面会はいつも昼間に行くが、その週はずっと昼間に用事があるため、一人で夕方で出歩きたくないから面会には行かれない、ということだった。
それなら、と母と一緒に(takちゃんも)父のいる施設へ行ってきた。

先に書いたように、父に久しぶりに会うと娘の名前がなかなか出てこないことが多く、事前に母が「明日は娘が来るよ」と言っておかない限りは、面会に行っても「?」の顔をしばらくしている父。
それが、その水曜日の面会時。
母の「事前の入れ知恵」がなかったわけだが、なぜか手を振ってにこにこして娘の名前を呼んだ。
「あらー、お父さん、私が誰かわかるの????」と思わず言ったら「当たり前じゃないか、自分の娘がわからなくてどーする?!」と。

あら、珍しいと思った。

老衰による身体の機能が徐々に衰えている様子が最近は顕著だったものの、その日は穏やかで、なぜか記憶もしっかりしていてそれなりに「元気」だった。
夕方も遅かったからこれでもう今日は帰るね、と言って別れたのが最後だったわけだけど・・・・・・・。
20分くらいだったか・・・、面会しといてよかったとおもった。

午後に予定が無いから今日(面会に)行っちゃう?!と、ふと思い立ったわけだが、いや・・今日じゃなくても(その)週末には行く予定にしてるんだし、なんか体調が最近悪いってのも聞いてないし、・・・いくらなんでもそんなすぐにどうこうするような体調じゃないし・・・と、母ともそんな話をしていたが、ナゼか・・・・。

ナゼか・・・。

「今日行かなかったことに後悔したくない」
という気持ちが強かった。

これはきっと父が呼んだのかもしれない。・・・しかも。・・はっきり娘の名前を呼んだしね。


そして亡くなる前日の土曜日。自分は行かなかったが母がいつも通りの面会をしたが、そのときも割と元気だったらしい。ただ、帰るころにちょっと熱があるっぽい感じで手がだいぶ温かく、これは夜中に熱が上がるかも・・と、思って看護師さんにそのことを伝えてから帰宅したという。
そしてその翌朝9時。施設から母に電話があって「呼吸が荒くなってきたから、来てほしい」と。その後すぐにこちらに母から電話があったのだ。

ちょうど出かけようとしたkanaちゃんに用事をキャンセルしてもらい、夫は出先だったため、そこから実家に行ってもらうようにして、自分は子供たちともしかしたら泊まりになるかもしれないと思って急いで支度して家を出た。
高速も空いてて母から電話をもらってから3時間後には、施設に着くことができたが、そのときにはすでに父は霊安室にいた。

実は、母がこちらに電話をしたあとにまた施設から電話があり、そのときには「呼吸が無い」ということだったという。てっきり母はタクシーで行くって言ってたから、なんとかぎりぎりでも父の最期に間に合ってたかも?と思っていたけど、そうではなかったとのこと。


呼吸をしていないけどいつもの父が横たわっていて・・・。もう起き上がることもしゃべることも無い父がいて・・・・。
長い時間そんな父をぼーーーっと眺めていて。

生きていれば遠くにいてもいつかは「会う」ことが出来る。生きていれば遠くにいて会えなくても、「存在が」ある。
でも、死んでしまえばもう「会う」ことができないし、「存在」もなくなる。

生きてるって・・・すごいんだな・・・・って。

そんな日々でした。

2019年1月20日 (日)

居場所

適応教室にも行くのを渋った2学期は・・・。
10時~12時のたったの2時間・・・、しかも「学習」の10時~11時は行かないって言ってて。・・・行くならレクレーションの11時~。
・・・ってことはたったの1時間じゃん・・・・・?!まあ・・・、行かないよりいいか。というレベルだったのが、それも行かない、という日々が何日かあって・・( ̄◆ ̄;)
ついに引き混りかーと内心、戦々恐々な日々だった。

適応教室では、週1回「体育」の日というのがあって、みんなでバドミントンをするらしいが、なぜかその日だけは10時からきっちり行く。しかも9時半ごろ家を出たい!早く行きたい!と。・・( ̄Д ̄;;
よくわからないけど・・・、takちゃんのお考えがあるのだろう。それはそれで、そうなんですねという感じなんだけど・・でも一転、体育じゃない日は「今日は行かない」という日が少なくなかった。
適応を利用している生徒さんに小学生の男子がいない、ということと中学生は逆に男子が多いけどなんかウマが合わないらしく・・・。
ここでも人間関係がいろいろとあるようで。
まあ、あるでしょう。そもそも教室に行かれないという前提の子供が利用しているのだから、それなりにいろいろ個性があるわけだからねえ。

と、行くのかい行かないのか、行くなら何時からか・・という毎日だったが、ここ最近ちょっとそんなこともなくなんとなく落ち着いていらっさる、takちゃん。

でも行くなら11時~だけど、それでも「さあ行くよー」と10時半ごろ声を掛けても2学期のように「えー行くの?」とか「今日は行きたくない」とかそういう感じがなく、とりあえず「行く」。なんか・・・よくわからないけど「変わったなあ」という印象の最近だった。

先週、先生と電話で話をする機会があったときに、ある話をしてくれた。
「自分の誕生日の日に(クラスの)誰も何も言ってくれないことがあって、寂しかった、とtakちゃんがみんなに話しをしたんです。そしたらみんなで”あー!わかるーー!!ソレ、寂しいし嫌だよねー!”って、みんなが声をそろえて共感して・・・。そしたらすごくtakちゃんが嬉しそうな様子でした」と。「(みんなが誕生日に反応してくれなかった)それがあってからクラスに行くのが嫌になった、とも言ってました」と。


・・・・・初耳中の初耳Σ(;・∀・)


そういうことがあったとは。


でも、それと似た話でつい最近のこと・・・・。「世界仰天ニュース」みたいなTV番組の再現ドラマで、「長期入院して闘病していた男の子が久ぶりに学校に来たらクラスメイトがわーーっとその子の周りに集まって声をかけた」という場面があった。それを見ててtakちゃんは「オレだったら友達はこんな風にはならない」と、ボソッと言ったことがあった。実際長期入院は小学校に入ってからは無くなったし、実際そういうことがあったわけではないから・・というのもあって「いやいや、そんなことないって。(もし退院してきたら)みんな心配して声かけるって・・・」と言ったけど「そんなこと、絶対ならないよ」と。

先生から誕生日の話を聴いたとき、そのTVの話を思い出した。

その2つの話を考えてみると、多分、「自分に注目して欲しい」ということ?なのか??
でもそれは一般的な”自分は目立ちたい”、ということとは違って、takちゃんの場合は自分の「存在」を認めてほしい、ということなんじゃないかなと。


そこが全ての一番の根源なのかもしれない・・・と。

いつからそうなったんだ?????とも思ったんだけどΣ(;・∀・)
そんな風に育てた覚えはない、ってなことを言っちゃいますが。ほんとにどうして????

はっきりとした原因はわからないけど、たぶんその辺り心の底に沈殿しているんだと思う。

だから、適応のみんなに共感をしてもらって嬉しかった、というのは本当にそうなんだろうと思うし、気づけばその日以降、11時から(適応に)行くとしても以前のような渋ったりすることがなくなった。
先生からその話を聞いて自分もガッテンしたが、きっとtakちゃんなりの”居場所”が出来たのかもしれない。


居場所。
自分の「存在」を客観的に見れる場所。

大事ですね。

2019年1月17日 (木)

不毛な再挑戦~障害者手帳申請したいのですが。

takちゃんの体調といえば。

最近の外来の採血結果では今までずっと3桁だったγGTPが2桁になってきたのが喜ばしいことくらいで、あとはそんな大きな変化や症状もなく・・・。
どっちかというと術後優良なフォンタン児じゃないか、と思われる。

良かった、良かった(*^-^) と、ほんとは言えるのに、なんだかそう言うのも複雑な思いが・・・というのを最近実感してますが。

というのも、検査して数値的なものは懸念する不安なものはなく、どれもクリアしている状態。心肥大でもなく、狭窄部分はあるも大きな影響があるほどではなく、不整脈も無い、タンパクも正常値。その他所見も見られない。
心臓病を持っていることを考えれば、現状の体調はとてもいいことだし、有難いことだと心から思う。

でも。

「健常」ではない。

し、

「障害者」でもない。

という・・・・・、ソレがとてもこれから先を考えると大きな壁になってくるのかなと。

先月の外来で主治医に、手帳を申請したいと話をしてみた。実は何年か前にも話をしたことがあったが、そのときはあっさり断られた。断られた、というか、「該当しない」と。まあ、もちろん数値に問題がないのであれば、意見書を医師は書けない。それは、承知しております。だから、そこを嘘を書いてください、というわけではないけど。
でも、ここ最近のtakちゃんの「学校に行かない」という問題に疾患が絡んでいるわけで、そのことも主治医には話をしてあって、「手帳を申請したい理由は、将来を考えてのことです。」と、改めて話をしてみた。

「将来を考えて」というのは・・・・。

「健常」ではない、という証明が必要だと思うから。就職のときに「障害者枠」が必要と考えているから。
だって、手帳がないなら「健常者」とみなされるわけだけど、果たして(数値に問題ないとはいえ)「健常者」と同じ生活レベルでやっていけるか?と。将来の就職も考えたときに、そこはどうなんだ?って。
「内部障害者」ですけどね・・・。でも公的な証明は無いでしょう。ヘルプマークだけじゃあねえ。

そこの話を懇々と話しをして、理解してもらおうと思ったけど・・・・・。
やっぱり「該当しないんです」という答えしか返ってこなかった(ノ_-。)

まあそうだろうなとは思ったけど。前例は出せないのはわかるけど。不毛な挑戦だったのかなと、思ったけど。

障害者には「該当しない」と(じゃあ「健常」に該当するのか?ってハナシ)。

それでも、主治医はそのあたりの制度的な問題があるというのについては、理解をしてもらった。自分の話の主旨もわかってくれたし、今の制度では対応しきれないから変えないとだめだということも言っていた。


そうは言ってもさ・・・。

切実な問題を抱えている人たちって、たくさんいるわけですよ。じゃあ、それに代わる制度があるか、っていったら無いに等しい。今は。
これから創設されたり、現行ルールが変更になったりするかもしれないけどね。

制度は昔に比べれば多種多様になってきている。サービスは多岐にわたっているし、切れ目ない支援になるようにもなってきている。ただし・・「該当」すれば(u_u。)


「〇級相当」って(先生の)一筆があればOKだと聞いたり。
うちの主治医は基本、フォンタンが終わったら「該当しない」という主張をしていたけど、フォンタン終わったら即申請という流れの先生もいるって聞いたり。
・・・するんだよな~( ̄◆ ̄;)

あとはこういうのってのは・・、「判定基準」があるけどその基準の解釈の仕方で結果が左右されることが往々にしてある。
じゃあ、基準て無意味じゃん(・・;)?

2019年1月15日 (火)

いつのまにか2019年が過ぎてました

ずいぶんブログを放置をしてしまっていて・・・・気づけば年も明けて・・・という惨状に気づき慌てているここ最近デス
(◎_◎;)
というのも、この数か月・・どんでもなくドタバタな日々を送っておりました。

まず、さかのぼるコト昨年11月初旬。
夫が(趣味の)バイクのレース走行中に(単独)事故を起こし、救急車で運ばれ約3週間の入院。
何がどうだったのかというと、左側鎖骨、左側肩甲骨、左側肋骨を骨折し、肋骨に至っては10本骨折Σ( ̄ロ ̄lll)。
傷病の説明を受けた時に「・・・先生、(そもそも)肋骨って何本あるんですか??」と一番初めに質問したくらい。
正直何本あるか知らなったけど・・それ以前にどんだけ折ってんの?!という感想でしたよ、はい・・・・。
むしろ、「肋骨4本骨折」っていうほうが「ええーー!?」ってなったかも。「肋骨10本骨折」って・・・あまり現実的な骨折本数じゃない、っつうか・・・Σ(;・∀・)
肋骨は、ちなみに片側12本だそーです。

その後、肋骨にプレートを入れる手術をし、救急病棟から一般病棟に移り、リハビリをし・・・・・約3週間目の11月末に退院。あっという間の11月でした。
病院がたまたまtakちゃの循環器の外来でいつも通っている病院のすぐ隣にある、病院だったおかげで通い慣れている道路事情だったからよかったけど、さすがに毎日の往復は大変(ノ_≦。)
付き添いって大変だけど付き添いに「通う」のも結構大変よね、ほんとに。やってみないとわからないことだけに。


そして12月。
11月の諸々ものしわ寄せを処理し、師走を迎え、年末へ。
この1行だけでは表現しきれないけどまあいいや。

なんとか年明けをしたところに、4日からtakちゃんインフル~、からのー、kanaちゃんに移ってダブルインフル~。
幸い大人には移らずに済んだけど、最近いろいろなことがやっと落ち着いたかしら・・っていう日常デス。

でも落ち着いたっていうか。
takちゃんは相変わらずで、もちろん?学校には行かず、適応教室も行ったり行かなかったり。
ちょうど一年前のこの時期。
布団にこもって出てこなかったり、物騒なことを言ったり、何かあると気持ちがどん底まで落ちてそこからリカバリーするまでに時間がかかり・・・っていう状態からすれば、全然「落ち着いた」けど・・・・・。

その辺りのことはまた改めて


ということで。
今年はどんな一年になるのやら・・(;´Д`A ```

2018年10月11日 (木)

これからのことをかくかくしかじか

検査の夏を過ぎて、その結果を踏まえての今年後半スタートだったわけだけど、なかなか思うようにコトが進まない。
検査だって、結果だって、カウンセリングだってなんだって・・・・、一か月に一度、とかいう頻度。こちらは毎日対応に追われたりとかして結局「対応策」」はたいていが後手に回ってなかなか先手を打てない。
時間ばかり過ぎていて、これでもタイトにやってきたつもりでもいつのまにかもう10月半ば。思えば去年の今ごろから雲行きが怪しくなってきた…と思うとなんて1年て早いのかΣ(゚д゚;)!?

思い返せばあの時ああしてればよかった、と思うことも無きにしも非ず。でもそのときにそれを防止するような対応を考えられたか、と考えるとそうではなく、その時々の状況や情報でそれなりに対応してきた。・・・と、自分で言いきかせるけど・・・・。なるべくしてなったのかな、とも思ったりする。

じゃあこれからどうするか。

小学校生活を終える、来年4月以降。中学校に行くのか、というより行かれるのか?という問題(ノ_-。)

「行かれるのか」という意味はたくさんあるけどー、まず通常の学校生活、朝8時半に登校して6時間授業受けて下校して宿題、勉強して寝る。そしてまた翌朝7時に起きて8時半に登校して・・・という、こんなことを書いてどうするというようないわゆる”日常”を「過ごせるのか」という問題。
じゃあ、そこは学校と相談して時間的なことや過ごし方を融通させてくれて問題がクリアになったとして。聴覚過敏であるならクラスという「集団に入っていかれるのか」という問題。先生の指示に戸惑うことなく、学校生活をやっていけるかという問題。中学にもなれば移動教室も多くなるし、教科ごとに先生も違うしいろいろ準備が多く、のんびりしてる暇もないぞ、という問題。

そんなこんなですけど・・・・どれをとっても、今のところかなり難しいと思われる。

支援級。・・・も考えているけどなんかtakちゃんはちょっとここではない気がする。
フリースクール、サポート校・・・近場にないため、結局毎日電車で通う生活なら通常の中学と同じ生活スタイルか。
引き続き適応教室・・・慣れてるところでいいけど午前中2時間のみ。午後は塾なり通って勉強する・・という自由なスタイルか。

いろいろ考えているけどまだなんともどうにも、っていう感じ。
ただ、問題なのは(って、問題はたくさんあるけど・・(-_-;))、takちゃんが聴覚過敏だろうが体力的に学校生活が難しかろうがなんだろうが、”気持ち”が前を向いている、せめて下を向いてない状態であれば如何様にも生活の対応方法はある。例えば友人関係が問題なら学区を変える、それも嫌ならサポート校に通うなどいわゆる不登校対応がある。けど、まだ”気持ち”が安定してなく、以前よりだいぶ良くなったものの、何かっていうとマイナス思考に支配されるため、その”心”の問題も同時に考えていかないといけない。その”心”の心療は来年年明けあたりの「予定」・・・。

”心”のほうはだいぶ落ち着いたけど何か不安と思われることが例えば今週末とか来週末にあると、そればっかり考えてしまうのか、その不安があるためその日までの日々の生活が閉ざされてしまう。
機嫌がよくない、こちらに八つ当たりをする、食事をあまりしなくなる、外出もしなくなる・・・というような有様。
その不安になるだろうそういうことに立ち向かえる”心”がまだ得られていない、ということなんでしょうね・・・。ほんとに。

でも、とりあえず、検査の結果を受けて具体的に特性がわかったのはこれからのことを考えていくうえでも本当に助けとなっているなあと(;´Д`
同時に「聴覚過敏」のことをいろいろと調べ・・・、今度、いつも循環器にかかっている小児病院内にある特別支援学校の先生にも相談するつもりでいるし・・・。

出来ることを少しづつ進めて・・・進めばいいけど(u_u。)

なんか。

生まれて数年間の闘病生活もいろいろあって大変だったけど・・・、その第二波が来た、って感じですかね、今回は。ただ、相手が赤ちゃんじゃなくて知恵を持った人間ってことで手ごわい部分が・・・・(-ε-)

2018年10月10日 (水)

発達検査~検査のかくかくしかじか

今回takちゃんの結果は、診断名が付くレベルの発達の特性ではなかった。いわゆる、”グレー”というものか。
むしろ、印象的にはグレー中のグレーっていう感じがするけど・・・・。

「発達検査」については、受けさせて良かったと実感している。小さいころから「ん?」ということが結構あって、それは子供が成長していく過程の、男子あるある的な、そのうち大きくなっていけばそんなこともなくなっていくよねー、というような。そんな子育て中の一過性のものではなかたったというのがわかったから。
もしかしたらそういう性格?個性?かも?とも考えられなくはなかったけど、やっぱり日常生活を送っていくなかで、いろいろと違和感は感じていた。でも、それこそ逆に日常生活のなかでは見つけにくい、ということも言える。
そうすると、やっぱり第三者の目というか、家族以外の人からの話は結構参考になることが多い。
学校の先生、児童館の先生などは本当に生徒のことをよく見ているから意外と侮れない。

人それぞれの性格や個性がそれこそ多様にあるから、必ずしも「ん?」というところが見られるからといってじゃあ検査を、ということではなく・・・。子供がその中で生活に不便が出てきた、生活しずらくなってきた、というのが継続的になったときに一つの手段として考えるといいのかなと。

「発達検査」はどちらかというとマイナス的なイメージがあるからその考え方は人それぞれだと思う。場合によってはクラスや学校の変更の必要が出たりすれば、周囲との関係も気になるし、本人の気持ちも大きく動く。
だから進めるにあたっては先生や専門家に話をしながら考えていくにしても、やっぱり何を優先して考えるかといえば「子供本人」であって、その子が生活のしずらさを感じている、生活に支障が出てきている、ということが起こっていれば何かしら考える必要があると思う。その子の特性による対応方法を周囲がわかっていればその周囲の人たちも、子供本人も今までよりスムーズに生活が送れるわけだし。
それを考えればマイナスよりプラスなものだと思うと、少し考え方が楽になるのかな・・と。

中学校の相談室に通室してくる生徒の親御さんにも、「うちの子は発達障害ではないから」といって検査を拒んでいたけど、それはかえってマイナスだと思う。100歩譲って、今はそれでいいかもしれないけど、子供が成人したときのことを考えたら?・・・「あの時ちゃんと対応していれば・・」とならないように・・・・・。


「聴覚が敏感」というtakちゃん。そこまで敏感じゃない自分を含め、周囲の人たちには理解が難しいかもしれないけど、いろいろ聴こえることでストレスになっていた、と思えば教室のざわつきはさぞやしんどかったのかなと思う。そこに「不安」があるとなれば、人の言ってることが気になってしまうのもしょうがない。
先生の指示もなんとなくしかわかっていなかった状態で学校生活を送っていたのかと思うと、それまでまあよくがんばったなと。
「ガッコウ イキタクナイ」と言うのも納得((・(ェ)・;))

・・・とはいうものの。
次の課題は。
来年卒業したらどうするか、ということ。

( ̄◆ ̄;)・・・あまりのんびりもしていられない。

2018年10月 6日 (土)

「発達検査」~結果のかくかくしかじかその2(知的)

さて、「知的」面については・・・・。
「平均よりも(少し)上」だった。が、その中で特性として出たのが「記憶力が比較的良い」、「聴覚が敏感」と「長い表現が苦手な傾向」というものだった。

「記憶力が比較的良い」というところは、ドラムを以前習っていたときのこと、先生のお手本を数回も見ずして覚えた。ピタゴラスイッチの「パタトクカシー」の歌詞や、歌詞がややこしいピタゴラ特有の歌でもすぐ覚える。など、日常のなかで「あら、ずいぶん覚えがいいね」というのは以前からあった。

「聴覚が敏感」は、ドラムをすぐ覚えるというのもそうだし、人の言うこともよく聞いている。多分そこに「不安」が一緒になると「人から言われた」嫌なことがいつまでも心に残ってしまったり、ささいなことがよく聞こえてしまってそれが「自分に向けて」言ってるのでは、と転換されてしまうのではないか?と、今回思った。
ちなみに聴覚と同じく「視覚」に敏感、という特性を持っている場合もあって、そういうお子さんは教室の掲示物がよく目についてしまい、授業に集中できないという。「聴覚」も教室という大勢居る状況だと、友達の雑談や人の話がとても気になってしまい、そこに「不安」があるわけだから、そこをセットにして考えると、教室に居ることはとても居心地が悪かったんだろうな・・と改めて思った。
takちゃんはそんなこと言わないけど(;´д`)、そう強く感じていたに違いないと思う。

「長い表現が苦手な傾向」は、これこそ以前からあるあるで、こっちの説明がワカラナイような顔をしていると余計にわかってもらおうとくどくど説明していたけど、かえってもっとパニックになっていたんだなと今になって思う(;・∀・)
例えば、入学してから学校に置き傘をしてきて、と話をしたとき。置き傘の意味が全然伝わらず、説明に大変だったことがあった。「晴れてるのになんで持っていくの?」「だって帰りにもし雨が降ったら傘があれば濡れないでしょ?」・・・・・「そうだね」と、終わると思いきや、「じゃあ、雨が降らなかったらどうするの?傘持って行っても仕方ないじゃん」「じゃあ、雨が降ったらどうするの?」と逆に聞いてもどうもそこが伝わらずひたすら堂々巡り(ノ_-。)
「いいから(今は晴れてても)持って行って」と持たせたこともあったけど、そのたびに”説明”そして”堂々巡り”。そんなとき、府に落ちない顔をしていたのをよく覚えている。あー、わかってないなとは思ってはいたが、ほんとにそうだったわけだ。
置き傘をやっと理解できたのも、3年くらいになって?という記憶があるけどそこまでずいぶん時間がかかった、というのはよく覚えている。

あとは仮定の話が苦手っぽい。「もし~だったら〇〇してね」とか「こうなった場合にはこうするんだよ」という、あることを想定するような話にはめっぽう弱い。だから、長い説明に加えて、置き傘のことで言えばそこでさらに「例えば〇〇だったら・・・」という仮定の話もあったから余計にワカラナかったのかもしれない。


4年の担任の話も思い出した。個人面談のとき、「クラスのみんなに連続した複数の指示などをしたとき、ちょっとわからないような顔をしていることがあります。で、隣の席の友達がやっていることをマネしてどうにか周囲に遅れをとらずに済んでるようですが」と。
つまり、「連続した複数の指示」とは、例えば、「図工の道具を片付けたら、出来上がった作品を先生の机まで持ってきてください。それが終わった人から帰りの準備をして席について待っててください」というような、感じの。
学校ではよくあること。でもこの中には複数の指示があり、それが一つの流れになっているため、こういうのはtakちゃんにとってはわかりづらい、把握しづらいものだったようだ。長い文章が苦手な場合は、こういうのを聞くと最初の(指示は)忘れてしまって最後のところしか覚えてないという。

だからこういう子には「端的に短い文」で言うのがいいらしい。・・・・とはいうものの、そう言うのは結構ムズカシイと思うが・・。

ざっと、こんな感じなことが判明した。


なんか・・・・ひと筆書きのようにつながった感じがした。
結果を受けて、思うことはたくさんあるけど、今まで見えなかったtakちゃんがはっきり見えたのはなんか嬉しい(*^_^*)
これからの課題多し、というのもはっきり見えたけど。、

2018年10月 4日 (木)

「発達検査」~結果のかくかくしかじかその1(情緒)

結果は・・・・「やっぱりそうか」と思えるところがほぼ出た感じだった。

情緒面の一つに「年齢相当より幼児さがある」と。今年の担任の先生も新学期に指摘があったが何かイベントで興奮するような場面のときにちょっと幼さが見てとれます、と言われたことがあった。その後学校に迎えに行ったりして、クラスにいる様子をちょっと意識して周囲の友達との関わりを見てみたが確かにtakちゃんのテンションやいろいろなタイミングに違和感があるなというのが見受けられた。
これは、家庭の中よりやっぱり集団の中でのほうがその違和感はよくわかる。そういう意味でも他人の目というのは大事だなと思った。
そして実家の母にも言われたこともあった。「なんか幼いよね」と。どこをどう見てそう思ったのかはわからないが、偶然にも同じ見立てを言われて、これは何かありそう・・・・と、思っていた。

そして検査。・・やっぱり。

それを考えてみると、takちゃんが「(自分の)学年全部が嫌だ」と言っていた意味が納得。友達の中に、相性の悪い子はいたり、特定の友達に何か言われたり、というのがあってそういう子が嫌い、というのはわかったけど、「学年全部が」という意味がよくわからなかった。
でも、その「幼さ」だったんだなと。確かに普段遊ぶ友達は今は5,4年生が多い。ほとんど同学年の友達とは遊ばない。児童館で何かゲームをするとか、そういうときは遊んでいるけど家に呼んだり、公園に誘ったりする子は4,5年生。
適応教室に通い出して、そこが多少なりとも居心地がいい、というのも、常連のメンバーの学年はtakちゃん以外に3年、5年、あとは中学生3人。そうすると、相手が「年下」か、「年上」。「年下」とは多分自分の居心地がいいんだろう。そして「年上」に対しては自分がむしろ年下だから自分の幼さが出てもオカシくはないんだろう。つまり、異学年の集まりは自分の幼さに違和感を持つことなく居ることが出来る、場所なのかもしれない。

クラスはきっと自分と周囲との違和感をもろ感じてそこに孤立感が生まれたのかな・・・と、この検査結果を通して感じた。

いつからそう違和感をtakちゃんが持っていたのかはわからないけど、恐らく4年生くらいまでだったのではないのかなと推測。そこまではなんとなくなんとかなっていて、特に違和感という違和感はなかったのではないだろうか。でも5年になって自立心が出始めたときに、自分と周囲を区別して見えるようになったとき。何か変だな?と。
ちょっと・・・なんか違うぞ?と。
それがtakちゃんだけじゃなく、周囲の友達もそう思うことで時にはからかったりすることにも繋がったのではないか・・・・・・・・・・・・と。


なんか、今まで点在していた問題が一つの線に繋がった感じがした。ガッテンできたというか。

そして「知的」面の結果もこれまたガッテン((・(ェ)・;))

・・・・・・takちゃん、がんばったね。


2018年10月 3日 (水)

「発達検査」~当日のかくかくしかじか

1日目の検査はロールシャッハと絵を使ったもの。
所用時間は2時間くらいでしょう、と言われたけど実際は1時間半弱かからずして検査室から出てきたtakちゃん。
「なんか、おもしろかった!」と。インクの染みを見て何にに見えるか、とかー、絵を見てどーのこーの・・・とかー。と。
まあ、そういうの、好きだしね。

そしてその2日後に2回目の検査を予定。こちらは知的を調べるWISC。ちょっと質問が多かったり難易度によってはうんざりすることも出てくるだろうけど・・・どうにか乗り切ってほしいと、思ったものの・・・・・。
その前日は横浜まで家族でライブ&花火大会で出かけることに。本当はそんな予定を入れたくなかったのに夫がいつの間にか?予定を入れてしまい・・・・。
その疲れを引きずっての2回目の検査はちょっと大変になるかも・・・と予想をしていたらわかりやすくもそれが的中。しかもど真ん中に的中~!

はい。朝から(前日の疲れで)機嫌が悪い、悪い。しかもちょっと体調もイマイチ。喉が痛いだのいろんなところが痛いと訴えている。

・・・じゃあ今日は(検査をするのを)をやめようか、と言ったけど「・・・大丈夫。やる」と言い張る。
「別の日に変えられるし無理しなくていいんだよ」と言っても変な意地?というか、そういうときにはなぜか頑固になるところがあってこっちが「別にいんだよ」と言えば言うほど反対に「やる」と言う・・・天邪鬼?てきなやりとりが延々続いた。
時間もそろそろ押し迫り、行くのか行かないのか決めないといけなくなったため、とりあえず行くけど検査者に会ってもらって決めよう、ということにして出かけた。・・・お互いの間を取った、というか。
正直自分も、本人が「やる」と言ってるのであれば受けさせるべきなのだろうが、でも体調がよくない感じの状態でそういうのを受けてもどうなの?というジレンマがあった。検査者に様子を見てもらって向こうが今日はやめときましょう、と言われれば帰るしかないんだし、とりあえず行くか、という中途半端な決断でもあった。

向こうについてまずはちょっと簡単に事情を説明した。ダメならダメでそう本人に言ってください、とも。
でも実際はtakちゃんは「大丈夫です」と言い張り、結局じゃあやりましょうか、ということになった。・・・大丈夫かなあ~。

結局検査には3時間弱。手こずってたのか、検査の進行がゆっくりだったのかはわからないけど、一般的には2時間くらいだそうだ。

機嫌が悪いまま始まり、終わったときも機嫌が悪く部屋から出てきた。・・・しかも半べそかいてるし!
検査者に聞けば「終わる直前あたりでちょっと泣いてしまって・・」と。どーした?!と聞いてもなんでもない、と言うだけ。機嫌悪いのはわかってるけど泣く理由がわからない・・・。でもなんか・・・納得できない質問があったのか?と予想。

帰り道の車中。ぶつぶつ文句を言い始め、なんで泣いたかもわかった。はい、予想がもろ的中

「なんであんな質問をするの?!」(`◇´*)
「わかるわけないじゃん!」と、激怒。

質問の内容を覚えている範囲で教えてもらったが確かにその質問はtakちゃんは「わからない」だろう。年齢相応の質問じゃないし。だから「わからないなら”わかりません”と答えていいんだよ。」「”わからない”というのも答えの一つなんだよ」と言っても「わからない」という答えが有りというのがどうも府に落ちないらしい。
しきりにそこにこだわる。
確かに質問内容は難しかった。でもそこで「わからない」と答えたら次の質問に移るわけで、「わからない」と答えたからといって「なんでわからないのか」とか、そんなことは言われるわけではないのに、・・・・という説明をしているはずなのに????

現場にいないからよくわからないけど・・・・。想像するにtakちゃんにとって「わからない」というのはある意味不安を与えてしまったのかも。あとは、どこかで納得がいかなかったのか・・・・。
でも検査は終わったし。途中退出してくるかと思ったけど全部終わったし。


あとは結果・・・・。だけど・・・・。

それこそ結果には”かくかくしかじか”でした((・(ェ)・;))

2018年10月 1日 (月)

「発達検査」~受けるまでかくかくしかじか

takちゃんの強い不安がどうも心の中に根付いていて、それが元でいろいろ問題が起こってくる・・・というパターンが見えてきた。今後のこともあるし、その特性が大きく本人にも周囲にも影響があるのであれば、その対応方法も知っておきたいし、と思って7月末に発達検査を受けた。

発達検査は心療内科(精神科など)で受けることが出来るが小学生を扱っている機関は少なく、大きな専門の病院でお願いするとだいたい数か月待ち。takちゃんが通っている循環器のある小児病院も受診が半年待ち、検査に至っては1年待ちだとか・・・!(・oノ)ノ
すぐ結果を知りたいところなのにもはや1年後なんて・・・検査をする意味がないような気もする・・・(;・∀・)

中学になればまだ街中の心療内科でもちらほら扱っている病院はあるにはあるけど、小学生対象というのはなかなか無くて、検査をどこでお願いするか、まずそこからだった。

よく行政の教育委員会や保険発達課とかに相談をするとそこから病院に紹介状が出て受診、ということになるがそれだって結局、前述した、「小児専門の大きな病院」で半年待ちの受診、ってことになるのだからどこから攻めても?半年待ちは半年待ち。
ほんとに・・・、受診する児童が多いのだそうだ。

そんな半年だとか一年後とかいうけど、実際毎日いろんなことが起こっていて対応に苦慮している、ってのに・・・、不登校が長期戦になるのもわかるわ、と実感。

そんなどうしたらいいかわからん状態だったのが5月末くらい。できれば自分としては6年のうちにある程度、対応とか今後の見通しを立てるべく、takちゃんの特性について知っておきたい、と思っていたから夏位に検査が出来ればなあと思っていた。が、どこも半年待ち?・・・・中学になっちゃうじゃーん!

中学になったらなったで、今より親の言うことをきかなくなってくる。今はまだ小学生だからいろいろ親の指示に従うところはあるが、中学になるとそれなりに「半分、オトナ」みたいなところがあるから結構面倒くさい。
だからそうなる前の今年中にメドを立てたかった。
それが・・・こんなお待ちの状態だなんって・・・(ノ_-。)

・・と。・・・春から通っているプレイセラピーを思い出した。そうだ、ここって「臨床心理センター」!
まさに専門じゃないですか?!検査するのだって臨床心理士なわけで、ここはそういう教育機関。じゃ、じゃあ、出来るはず!でも・・いつ?

恐る恐る聞いてみると「あ、すぐできますよ」  (・_・)エッ....?

かくかくしかじか、世間で起こっていることを話してみたらむしろ驚かれたという・・・。

じゃあもうここしかない!ほんとはすぐにでもお願いしたかったけど日程の都合で7月末に決定。
ま、まあ・・全然いいじゃん。何の贅沢を言いますか。

ということでWISCとロールシャッハとTATという検査をお願いした。前者は知的を、後者は情緒面を診るのだという。1日に全部やるのではなく、2日にわけるというから結構ハードだけど、こういう感じのはtakちゃん好きだし。本人には「検査」とは言わないでtakちゃんの得意不得意がどういうのがあるか診るためにちょっといろいろ質問するんだって、と話をしておいた。

が。不安があった。

ここは大学院生が対応している。普段のセラピーも自分の面接も院生。当然検査者も院生。となると、院生が悪い、というわけではないけど・・・・、要は向こうにしてみれば、面接もこの検査をすることも、院生の臨床(勉強)なわけで、こちらとしては(言っちゃ悪いけど)経験が未熟で大丈夫?という不安があった。
普段のカウンセリングで、takちゃんがやっているプレイセラピーはいいにしても自分の面接も、話を聴いてもらって意見をもらうと、場合によっては社会経験や、世間の人間関係にもまれてないね、というのがこちらにもわかる返答だったりする。まあ、まだ23,4歳とか?・・・およそ自分の半分じゃん(;´Д`A   およそ、ね。

検査は一発勝負だし、今回ちょっとダメだったからまた今度、というのはまずまず不可能。間をあけても5年は開けなくてはいけないという。そう簡単に次にチャンスがあるというものでもなく・・・。
じゃあ医療でやってもらうか。専門病院だと検査だけでなく脳波も撮ってくれる。そうするとさらに詳細も診断してくれるし、もしかしたら薬も出してくれるかもしれない。不安を抑えてくれて情緒が安定すれば、今より、takちゃんだって気持ちが楽になるし、気持ちが落ちることもなく、前を向けるかもしれない。・・・・でも半年、1年待ち。
ただ、新しい病院に行くというのが難しい。takちゃんの気持ちが安定してないときが多かったそのころは、かかりつけの病院でさえも行くのを拒否った。
「悪くていい」「良くならなくてもいい」という気持ちが強かったから、病院なんて行くわけがない。

と、いろんなことをいろんな天秤にかけて考えて・・・とりあえず「今必要とすること」を考えて・・・・。


セラピーを受けている臨床心理センターで検査を受けた。のだ。

まあ、それが正解だったかどうかは結果的に五分五分かな・・という感じだけど、まあ致し方ない。

ほんとに・・いろんなことに頭を抱えている今年です(u_u。)

  ちなみに自分が勤務していた市では「教育相談室」で検査が受けられた。臨床心理士がいていつでも受けられる。だから相談室に来ていた生徒も、学区内の小学生も「じゃあ来週検査しますね」という感じで受け付けていた。それが当たり前?だと思っていたら自分の住む行政の「教育相談室」ではやってないという。臨床心理士がいるのに・・・・。医療に紹介だそうだ。
なんでこんなにバラバラなのかしら・・・・( ̄◆ ̄;)


2018年9月21日 (金)

心境変化が「変化」

期待は全然してなかったけど・・・・。

夏休みの終わりに「学校に行っちゃダメなの?」という文言はやっぱりというか、あっさり幻に終わった。
早かったーΣ(;・∀・)!!
9月15日に運動会があるからまずはそこに向けて運動会の練習の時間だけ登校してみる、という気持ちも持ち始めた新学期。早速、先生にお願いして運動会の練習日程表を作ってもらったが・・・・。
「やっぱり行かない・・・・」と。理由は「行ったら(友達に)何か言われる・・・」と。
あんなに児童館でふつーーーに同級生と遊んでたのに、いざ「学校」となるとこういう気持ちになるのが不思議といえば不思議。確かに学校は児童館と違って、遊んだり自由が利く場所ではないけど、でも知らない人がいるわけじゃないのに、と思ってしまう。「知らない人」のほうがいいのか???

まあどっちにしても一度そういう気持ちになってしまえば、そこから復活するというのは100%無い。と、自分も勉強したので、「あ~ぁ」と思いつつ新学期も適応教室に通室。

ただ、最近は気分の落ち込みが以前ほどではなくなった。まさにズドーーーーーーンと落ちてそこからもとに戻すまでが時間も手間も労力もかかり、それはそれはひと仕事だったけど、最近はそんなこともなく、時間は少しかかるにしても、持ち直すのが早くなった。
そういう意味では前進してる?といえばそうなのかもしれないけど・・・・。なかなか「友達に何か言われるかもしれない」という気持ちについては、依然強く心に根付いてしまっている。

「対人恐怖症」の傾向があるそうだ。
カウンセラーから言われたが、確かにそうかも。不安が強いのもそうだし人の発言が気になるのもそうだし。
気持ちの落ち込むパターンからするとその傾向にガッテンできる。
もしそうであれば、治療していく方法を考えていかないといけないけど、今は病院に連れていくのがすごく手こずる(ノ_-。)

というのも、「今の状態から回復したい」という気持ちがさらさら無くて、むしろ「悪くなっていい」「オレなんて価値がないから」というマイナスに持って行きたがる。おまけに、通常の循環器の外来でさえ、最近は文句?を言う。
「なんで行かなきゃいけないのよ」と。

このあたりのやりとりがひじょーに面倒。
まるで2歳児に「イヤイヤ期」か!?っていうくらいで、ほんとに面倒、大変、疲れる。

こういう気持ちがあるからどうにかしたいのに、「別にオレはこれでいいから」と言われてしまうと話が先に進まず、時間だけが過ぎてしまうわけで。

もう9月もだいぶ過ぎました・・・・(u_u。)

2018年8月23日 (木)

takちゃん…心境変化か……なあ……

今年の夏休みは春先から父の具合がどうなるかわからない状態だったから旅行などの大型イベントは予定せずにいたから特にどこも出かけてない。
「心臓病児を守る会」の夏キャンプに行くつもりでいたが野球を習っているtakちゃんは野球の合宿のほうに行きたいとなり、スケジュールを見ると夏キャンプの翌週に野球のキャンプだったから立て続けは無理だねということで野球のキャンプを選択。
まあそのほうが友達もいるし、野球も出来るしね。

と、思ったけどなんだか台風来てますよ(u_u。)
今日、明日ですけどねΣ(;・∀・)

とりあえず台風は直撃じゃないからどうやら行くは行くみたいだけどしっかり雨マーク・・。
予定表には「試合とBBQ」以外の予定が無かったけど・・、大丈夫かな(;・∀・)


夏休み中、takちゃんは後ろめたさなく友達と遊べてかなり心が解放された感じ。・・・うまくそれが2学期に繋がるといいなと思う。
夏休み入ってからも「2学期からもう学校には行かない」と言っていた。まー、いいんじゃない?と言ってたけど夫が自分の居ないところで「2学期も3学期も適応教室か?中学はどうするんだ?」と言ってたみたいで「行きたくないのにわかってもらえない」と。
夫が息子のこの先のことを心配する気持ちはよくわかるし自分だって本当はさっさと単刀直入にそう聞きたい。でもそれを言っちゃダメなのよ、言わないで今は「行きたくない」という気持ちを受け止めてね、といくら言っても夫はそれもわかってもらえない(ノ_-。)
そのあたりの歯車が合わないためにtakちゃんも少々混乱していて言ってしまえば現状が長引く原因なのに。

とりあえず夏休みという長い時間を利用してtakちゃんの心をそれまでかなり低迷していたレベルから引き上げられるかも?と考えた。うまくいったかどうかはわからないけど昨日takちゃんが自分から「2学期どうしよう」と言い出した。
「2学期、学校に行っちゃだめなの?」と。

・・・・・・・(*゚▽゚)ノ

これはかなりある意味予想外だったけど「やった!」という感じもあった。夏休み直後の「もう2学期から行かない」という気持ちとは全然違う。
そこまでの気持ちになっているのであれば、「最初、慣れるまで大変だろうから適応教室と学校と両方利用できるよ」と言ってあげた。実際適応に週3、学校に週2という通学方法も可能だと先生が言ってたし。それなら無理なく通えるんじゃない?と。


まさかそういうことを言ってくるとは思ってなかったけどそれが思いつきで言ってたら・・・やだなΣ(;・∀・)

でも荒廃していた気持ちが少しは落ち着き始めたのか・・・。でもいざその日になると「行かない」っていうパターンをまた繰り返すのかな・・・(u_u。)

せんせんきょうきょう・・・・( ̄_ ̄;)

«実家の父が大変になりまして・・・。

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